「肥沃な三日月地帯」を取り戻すーーサアド・ダゲールの言葉

新緑の季節、みなさんいかがお過ごしですか。都市部では新型コロナの感染者がまた増え、行動の自粛が求められています。一方で、自然に目を向ければ、日々、緑は濃さを増し、まいた種は芽を出し、私達に「野菜」としていのちを分けてくれる植物たちも子孫を残そうと花を咲かせています。


日本、そして世界を覆う暗澹たる状況の裏側にある小さな希望をお伝えしたくて、今日は2019年「しあわせの経済」国際フォーラムでパレスチナより来日されたサアド・ダゲールさんの言葉を紹介します。サアドさんはアグロエコロジストであり、オリーブをはじめ多種の野菜を育てています。パレスチナというと茶色い土のイメージがあるかもしれません。それは「現代の」荒れてしまったパレスチナで、かつては豊かな大地が広がっていたとサアドさんは教えてくれました。彼の取り組みに学びながら、危機の時代、遠くに出かけることがむずかしい時代にあっても心の肥沃さを耕す術を見出していきたいですね(事務局)。

2019.11.17、明治学院大学で開催された講演会より(主催:ゆっくり小学校)

お話:サアド・ダゲール(アグロエコロジスト、パレスチナ)



三大宗教が生まれるずっと前から、私たちパレスチナ人はこの地に暮らしてきました。今では、世界中の多くの人が同じこの地域を「イスラエル」と認識しています。さらに、イスラエルの支配者たちは近隣諸国のシリア、レバノン、ヨルダンのすべて、イラクの半分以上、クウェートのすべて、サウジアラビアの北部、エジプトの東岸、トルコとスーダンの一部を併合する「大イスラエル」を夢見ています。


私たちの日常生活は、壁という名の暴力に囲まれていますが、私もまた大きな夢をもっています。それは、「肥沃な三日月地帯」に再び肥沃さを取り戻すことです。


「大イスラエル」とほぼ重なるこの地帯は「肥沃な三日月地帯」*と呼ばれてきました。

*肥沃な三日月地帯(Fertile Crescent):メソポタミア-シリア-パレスチナを結ぶ三日月形をした地帯は、最も早く農耕文明が成立した地域として知られる。


しかし、今ではその大部分が干上がり、砂漠と化しています。1万2000年前に人類農耕発祥の地となり、文明発祥の地となり、宗教発祥の地となったその豊かさは、ほとんど失われてしまいました。


大地の肥沃さだけではありません。社会的、文化的な豊かさもまた、同時に失われてしまいました。現在、この肥沃の三日月地帯と呼ばれた場所で、ずっと戦争が続いています。パレスチナとイスラエルの戦争、シリアにおける戦争、レバノンにおける戦争、クウェートにおける戦争、イラクにおける戦争…。暴力のレベルはあがる一方です。


私は、戦争で何かを解決できるとは信じていません。エコロジストである私は、人間を殺すことだけでなく、鳥や虫を殺すことにも反対です。でも、私個人に、一体何ができるというのでしょう? 


まず、大地の肥沃さを取り戻すことからはじめました。少しの雨があるとはいえ、私たちは乾燥地帯に住んでいます。パレスチナでは、古代から灌漑に頼らずに雨水だけで農業を続けるやり方を発明し、その伝統を維持してきました。真夏の日照りのような暑さでも、きゅうり、トマト、瓜、ズッキーニ、オクラなどのいろんな野菜、豆類をつくっていたのです。灌漑システムや化学肥料をつかった農業が入ってきたのはつい最近のことです。


若い頃、私はソ連に留学して大規模農業の研究をしていました。帰国してからは、近代科学農業のあり方に疑問を持ち始め、環境システムを壊さない農業のやり方を試行錯誤してきました。世間には、「何々農法」と呼ばれるものがたくさんありますが、私には化学肥料や農薬を使わない農業を確立しようということ以外、こだわりはありませんでした。まずは大地の保水力を高めようとあれこれ試してみました。そこで発見したことやわかってきたことを農民や環境技師たちに伝えるのですが、農薬や化学肥料を使うのが当たり前になっている彼らは取り合ってくれません。その中で、最初に理解を示してくれたのが、女性と子どもたちでした。本当の意味で変化をつくりだすのは、女性と子どもたちなのです。




私は、学校の子どもたちやお母さんと取り組みを始めました。というのも、大地の肥沃さを取り戻す第一歩は、農薬や化学肥料の投入をやめることだと思ったからです。無化学肥料、無農薬の方法について、子どもたち、女性に伝えていきました。もちろん、関心をもってくれた男性農夫たちにも見せました。だんだん理解者が増えてきて、農民たちへの指導機会を広げていきました。


しかし、すぐに、みんなが相手にしてくれたわけではありません。特に壁になったのは、農業技師などの専門家や大学の先生たちでした。この地帯は本当に大変な荒れ地で、想像もできないくらいの化学肥料と農薬が多投されてきた場所です。私もそのころはソ連のトップからそういった技術を学んできた技師です。化学肥料なしには農業は成り立たないと教わってきました。だから、私は彼らを責めません。気の毒に思います。



そんな彼らも農民たちが理解したのをみて、私たちのところでトレーニングを受けるようになりました。これは大きな変化です。それまでどうやって虫を殺すかばかりを考えていた人たちが、「インセクトホテル(虫たちが、快適に過ごせるような場所)」をつくり、農民と一緒にやりはじめています。


もうひとつの壁が大学です。大学の教師たちは長い時間をかけて化学的農業を学び、今の職についているわけですから、彼らがいちばん頑固です。しかし、ついにその牙城も崩れ始めました。先生たちが何名か、私のところにトレーニングを受けにくるようになり、私を大学に呼んで講義を依頼してくれる先生も出てきたのです。


私は自分の農場を「ヒューマニスティック・ファーム(人間的な農場)」と名付け、私なりのアグロエコロジーを実践しています。雨水を活かし、藁や動物の糞尿など様々な有機物を入れて土を再生させ、より肥沃な農地をつくっています。農場が棚田風になっているのも、水を失わないためのひとつの工夫です。また、高低差を利用して水を有効活用する栽培方法も実践しています。


「いくら環境にいいやり方でやったって、十分に養える量を作れないじゃないか」と多くの人は言います。しかし、どうでしょう。事実はまったく違うんです。



現在、パレスチナには300~400のアグロエコロジー農園があります。多くの若者がこの運動に参加してもっと広めようとしています。「パレスチナ・アグロエコロジーフォーラム」と呼んでいます。私たちの取り組みを視察しようと、ヨーロッパからも人々がやってきます。今期だけでも、600、700人の人が私たちの農場を訪ねてきました。私たちはツアーを組んで、文化的、歴史的な場所や村を訪ねます。ここで取れたローカルな食べ物を出します。単に農業のやり方だけを視察するのではなく、暮らしを楽しんでもらうのです。


ここまで畑の話をしてきましたが、実は、私の仕事のもう一つはオリーブ畑です。オリーブがパレスチナ経済の一部なのはご存知ですよね。伝統的なオリーブ耕作にまつわる非常に重要な考え方があります。私たちの祖父の代までは、オリーブの木、いちじくの木、石段があってぶどうの木は「3点セット」でした。単なるテクニックの問題ではなく、人間と自然が一体となって生きていくことで、経済的にも生存を保証するという非常に深い考えに基づいて何千年と続いてきた耕作法です。木と木の間には、小麦や大麦、玉ねぎ、じゃがいもを植えます。一年を通じて何かしらを育てている。これが持続的な農的生き方です。



この石積みもまた伝統的に、何百年、何千年と続いてきた方法です。これがある意味、土の風化から土を守る壁になっています。そして、土の保湿にも重要な役割を果たしています。さらに蛇などの小動物、虫たちにも住処を与えているわけです。


私は、畑と同じように、オリーブ農園も自然農の「不耕起」を実践しました。地表の雑草を倒して土の表面の水分が蒸発しないようにします。CO2を防ぐ意味もあります。労力が少ないし、時間もかからない、経済的にもずっとこの方が実のつきがよくなります。


しかし、この「不耕起」を進めるにあたり、私は大変な抵抗に会いました。農民をはじめ、私の父や兄でさえ反対しました。オリーブ畑を耕さないのは家族の恥、村人に顔向けできないと言われました。耕さず、化学肥料を使わないなんて、お前はクレイジーなナマケモノだと言われました。中には「お前はイスラエルが侵入する隙を与えるために、耕さないで、オリーブ畑をダメにしようとしている裏切り者だ」と批判する人もいました。


2002年に、不耕起栽培、粘土団子を広めた福岡正信さんのことを知りました。パレスチナには福岡さんの本がないので、私がその一部を2003年に訳しました。そうやって少しずつ理解を広めながら、今では、みんな楽しく遊んでいるかのように粘土団子を放り投げて種をまいています。これを知った近所のハイキングサークルの人たちが、セメントミキサーをプレゼントしてくれました。おかげで粘土団子が簡単に作れるようになりました。


そして大事なことですが、常に喜びを持って働くこと。朝からオリーブの収穫だと大変なんです。ですから、ヨガをやりながら、体操をしながら収穫をする。


私の大きなばかげた夢を冒頭で紹介しましたが、肥沃な三日月地帯を取り戻すことは可能だと確信しています。それは単にパレスチナではありません。パレスチナを越えて他の国々も覆う三日月地帯です。私の情熱の源でもある家族に支えられて、これからも私にできることをやっていきます。


サアド・ダゲール


25年間、アグロエコロジーに関する取り組みに従事。百姓、養蜂を営み、「Ma’azuza」(人間的な農場の意味)を設立。15年前、パレスチナにアグロエコロジーという思想を紹介し、パレスチナのウェストバンクにエコビレッジを設立。 パートナーシップを意味する「Shraka」のメンバーとして、パレスチナにおける産直に取り組む。その取り組みを発展させ、パレスチナ初のコミュニティ協同農場を設立。

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