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世界を一つにするって?

オリンピックが閉幕した。期間中、海外の友人たちのうち数人が、ぼくのことを思い出したよ、と連絡をくれた。開会式の翌日にテレビ電話をかけてくれたモントリオールの友人は、いいスペクタクルだった。特に、あの小柄なピアニストは素晴らしかった、と言った。ぼくがその式を見ていなかったことを知った彼は一瞬の沈黙の後、「オリンピックについていろんな考えがあることはわかるよ」と言い、「でも、あれはとにかく悪くないスペクタクルだった」と繰り返した。昨日メールをくれたニューヨークの友人は、「日本は世界を一つにする(bring the world together)ためによくやってくれたね」と。ふ〜む、なんと返事しよう。長くご無沙汰している昔の親友の、優しい言葉に、まさか「いや、それは虚しい幻想だろ。こんなに世界がズタズタに分断されている時に」などと、青臭い正論を返すわけにもいかないしなあ、と。


猛暑、豪雨、コロナなど、様々な禍いの中のオリンピック。実にいろいろなことを思い、考えさせられた。以下、そんなぼくの心に届き、刺激を与えてくれた新聞記事を三つ紹介する。


ニュース記事(8月6日)

熱波が襲うギリシャで火災多発 

古代五輪遺跡にも迫る炎



欧州南部ギリシャが今夏、猛烈な熱波に襲われている。最高気温が40度を超す日が1週間ほど続いており、北部テッサロニキでは3日に47・1度を記録した。AP通信などによると、全土で100件近い火災が起き、50以上の地域で住民が避難した。暑さから消火活動は難航しているという。ミツォタキス首相は5日、熱波は温暖化が一因と指摘した。


現地の報道によると、首都アテネ近郊では3日に起きた山火事で1250ヘクタールが焼けた。アテネ北方のエビア島で3日に発生した火災では数百軒の家屋が焼け、観光客らはボートで海へ避難した。また、古代五輪の遺跡がある西部オリンピア近郊で起きた火災では、約20軒の家屋が焼失した。

AFP通信によると、ミツォタキス首相は5日、オリンピア近郊の火災現場を訪れ、「気候変動は事実か疑問に思う人がいるなら、ここに来て(被害を)見てほしい」と語った。(アテネ=疋田多揚)



山極寿一の言葉

スポーツの起源は遊びであり、その本来の意味は気分転換にある、と山極寿一は言う。「それが貴族たちの野外の余暇活動となり」、今のように「身体を酷使する競技となったのは19世紀以降」のことである、と。霊長類の研究者である彼は、スポーツの原点をゴリラの遊びに見る。

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 「私が長く研究してきたゴリラもよく遊ぶ。取っ組み合ったり、追いかけ合ったりして、ときには短い休止を挟んで1時間以上も遊び続けることがある。互いに高いところに上って胸をたたき合う「お山の大将ごっこ」や、数頭が数珠つなぎになって歩く「電車ごっこ」に似た遊びもある。遊びの特徴は、経済的な目的を持たず、体の大きいほうが自分の力を抑制して小さいほうに合わせ、互いに役割を交代するところにある。

 身体を同調させる楽しさを追求する中で、こういったルールが自然に立ち上がる。人間の遊びもこのルールを踏襲しているし、スポーツの原則もここにあるのではないだろうか。相手に勝つことが目標ではなく、互いに立場を交代しながら競い合い、そのプロセスを楽しみ、勝ち負けにこだわらず健闘をたたえ合う。いっしょにスポーツに興じたことによって、よりいっそう信頼できる仲間となる。観戦者もこの同調の輪に巻き込みながら、スポーツは私たちの社会を和ませ、新たなきずなをつくることに貢献してきたのだと思う。

 しかし、最近のオリンピックは商業主義が目立ち、観光収入や放映権をめぐって大量の札束が飛び交う国家事業になった。放映権を握るアメリカのテレビ会社に配慮して競技の時間を設定したり、海外のプロスポーツとかち合わないように酷暑の夏に開催したりと、どうも選手や観客の健康に配慮しているとは思えない。

 一番の問題は、オリンピックが国の威信をめぐる戦いの場と化していることだ。「オリンピックは参加することに意義がある」というクーベルタン男爵の言葉はどこへやら、今はメダルをいくつ取るかが国や人々の主な関心事である。そのために専任のコーチをつけ、強化合宿を実施して成果を上げようとする。本来は個人やチームの戦いなのに、選手たちは国を背負って競技に臨み、負ければ「申し訳ない」と謝ることになる。何かおかしくはないだろうか。

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 オリンピックは個人やチームの力を競う場であり、勝利を国の成果と見なす必要はないのではないか。国の代表は大会を開いて標準記録を突破した選手を自動的に選べばいい。団体競技にしても、わざわざナショナルチームを編成する必要はなく、優勝チームを出場させればいい。

4年ごとに開催国を変えて実施する方式も改めたほうがいい。開催準備に多大な費用がかかり、大規模な開発が行われるからである。森が切り開かれ、海が埋め立てられて、新しい競技施設やホテルができる。近年は環境破壊が問題になり、開催場所がたびたび変更されている。いっそのこと、オリンピックの開催を発祥の地であるギリシャに固定したらどうだろう。そうすれば聖火リレーも行う必要はないし、競技場も繰り返し使える。開発国家の夢を追い続けるかのような開催国のたらい回しは、低成長時代にふさわしいとは思えない。

(7月26朝日新聞への寄稿より)


藤原新也の言葉


 1976年。韓国・ソウルから列車に乗り、慶尚北道へ向かう車窓で美しい農村風景が目に飛び込んできた。ありふれた田舎かもしれないが、おとぎの国に見えた。後年この奇跡的な出あいの写真に「こんなところで死にたいと思わせる風景が、一瞬、目の前を過(よぎ)ることがある」と一文をつけ、著書『メメント・モリ』に収めた。

 その風景が忘れられず、2年後の同じ真冬に村を訪ねた。写真に写っている家の前に行くとおばあさんが出て来たので「こんにちは」とあいさつした。すると、たどたどしい日本語で「昼飯食ってけ」。縁側に温かい米のとぎ汁、キムチとほかほかのご飯を載せたお盆を置いてくれた。そのシンプルな美味しさに、ああ、これが韓国古来の食事なんだと、食文化の根っこを味わいみた思いがした。

 以降、韓国へ行くたびに訪ねたが、90年に足を運んだとき、立ち竦んだ。見渡す限りの更地が広がっている。その2年前のソウル五輪を機に高速道路が開通し、役所がマンションを建て住民を立ち退かせたのだという。

 おばあさんは病院にいた。生きがいだった畑仕事を失い、別人のようにふさぎ込んでいた。

 五輪は風景を変え、人を変える。大義名分の下、すべてが進む。そこのけそこのけとばかりブルドーザーが風景を壊し、古くからの文化も人心も一緒に、一気呵成に押しつぶしていく。

 2011年。中国・上海の路地裏を歩いた。その3年前の北京五輪前後、北京の胡同(フートン)の取り壊しが話題になったが、上海でも古くからの庶民の住居群が五輪のために減っていた。かろうじて残る一角に足を踏み入れられたのは幸いだった。

 林立する摩天楼の下、つましい住まいがへばりつくように軒を連ねる。路地にはにぎやかな笑い声が響き、洗濯物が風に揺れ、子どもをあやす平和な時間が流れていた。僕は強烈な懐かしさを覚えた。

・・・(中略)・・・

 欧州の貴族文化に端を発した近代五輪が、華やかな祭りの影で世界の土着文化を破壊していった「裏の歴史」。それは今も、厳然と積み重ねられ続けている。(6月22日朝日新聞インタビューより)




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