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「障がい」ってなんだっけ?

熱波、豪雨、洪水、土砂崩れ、山火事、米軍のアフガン撤退・政権の崩壊・・・、そしてコロナ。異常事態と緊急事態が世界中を覆ったかに見える夏。そして今ではすっかり日常化し平常化して陳腐にすら感じられる緊急事態宣言下の東京での、オリンピックやパラリンピック。4年に一度の祝祭であるはずなのに、何を祝うのだったか、なかなか思い出せない。そもそも、スポーツとはなんだったのか? もとは遊びだったはずのものが、今や、それとはほど遠い何か、恐ろしげなものに化けてしまったのではないか? 競技とは何か? 健康とは、身体美とは何か? 健常とは、障害とは何か?・・・・


「パラ学校観戦は『ふれあい動物園?』 車いす少年の違和感」。こんな見出しに引き寄せられた。以下、その記事(朝日新聞2021年8月29日)を見ていきたい。


16歳のミウラタケヒロさん。生まれつき心臓の病気があり、車いすに乗っている。特別支援学校小学部から不登校になり、中学部を中退した自称「フリーランスのニート」。昨年、クラウドファンディングで資金を募り、作家の乙武洋匡さんたちとの対談をまとめた「TKマガジン」を出版したほか、自らの障害についても講演している。


パラリンピック開幕前日の23日。タケヒロさんはツイッターでこうつぶやいたという。「障害のある人ってなに?」。それは3日間で3千回ほどリツイートされ、8千件あまりの「いいね」が押されたそうだ。


このツイートは、パラリンピックについてのあるテレビ番組で話題になった「学校連携観戦」でのある出演者の「障害のある人と子どもたちが話す機会を設けてほしい」という発言に端を発するやりとりへの、タケヒロさんの反応だった。


彼はそのやりとりを見て、特別支援学校と地域の小中学校の交流のことを思い出したのだという。


 タケヒロさんが入学したのは自宅近くの特別支援学校だった。タケヒロさんの病気を理由に地域の小学校からは「リスクがあり、対応できる教員がいない」などと断られたからだ。一方で、特別支援学校と地域の小中学校の生徒が交流する制度があり、地域の小学校の校長先生からこう言われたという。

 「君がうちの生徒と交流してくれたら、学ぶことがたくさんあるんだよ。触れ合いを大切にしたいのでぜひまた来てください」


 自分は教材なのか。まるで、「触れ合い移動動物園」みたいじゃないか――。

 障害がある子どもの多くは特別支援学校に通い、地域の小学校に通う子どもたちと交わることはほとんどない。


 タケヒロさんはツイッターでこう続けた。

 「話す機会が必要と感じるなら、なぜ幼稚園から健常と障害を分けた場所で教育するんですか?」

 「大人の都合で分断しておいて、話す機会が必要とか意味がわからない」


「障害のある人ってなに?」という問いは、タケヒロさんのパラリンピックに対する複雑な気持ちをも示しているようだ。記事は続く。

 

 タケヒロさんのように内部障害を抱えていると、スポーツそのものが難しいケースも少なくない。専用の車いすに乗ったり義足をつけたりしたアスリートたちは超人のようにみえる。

 「パラリンピックの選手たちには尊敬の気持ちしかないけれど、出場しているのは選ばれた人たち。入場行進を見ていても、ストレッチャーで寝ているような重度の障害者はいない」

 パラリンピックは本当に勇気を与えるメッセージになっているのだろうか。タケヒロさんはいまも悩んでいる。

 「オリンピックの精神でやるならば、障害と健常などわけずに、それぞれが工夫されたスタイルで同じスタートラインについて競技すればいい」

 ツイッターではそうつぶやいた。


最近、ぼくはしょっちゅう障がい者の友人、宇宙塵のことを考えている。彼と出会った三十数年まえ、彼はオリンピックが嫌いで、パラリンピックが特に嫌いだと言っていた。今、彼は何を思っているのだろう。


ぼくの心のうちで、16歳のタケヒロさんの言葉と、宇宙塵の言葉が共鳴する。ちょうど20年前の9月に出版された、拙著『スロー・イズ・ビューティフル』の第8章は、宇宙塵との対話を主軸にして書いたものだ。それをここに転載させていただくので、ちょっと長いが、気が向いたら読んでみてほしい。


 



8章:ぼくたちはなぜ頑張らなくてはいけないのか?


青くなってしりごみなさい。

逃げなさい、隠れなさい。

死んで神様と言われるよりも

生きてバカだと言われましょうよね。

きれいごと、並べられた時も

この命を捨てないようにね。

(加川良「教訓1」)


 ぼくの友人がいつも言う。「障害者はなんで頑張らなくちゃいけないの」、と。脳性マヒの彼は、自分のことをウチュウジンと呼んでいる。宇宙塵。自分は宇宙のゴミ、つまりれっきとした人間だよ、という彼ならではのポエム。

 彼はオリンピックが嫌いだと言う。そして、そこに「金魚のフンのようにくっついている」パラリンピックは特に嫌だ、と。「より早く、より高く、より遠く」。国旗をふって、「頑張れ」の大合唱。普段から、健常者たちに「頑張って」といわれるのが嫌いな宇宙塵には、二年に一度めぐってくるこの「頑張り」の季節は一層不愉快だ。

 まず国対抗であるところが気に食わない。どうしても軍国主義と重なってしまう、と宇宙塵は言う。「君が代」と「日の丸」をなりふり構わず押し通そうとする「愛国者」にとって、確かに国対抗のスポーツはありがたい。強制しなくても人々はすすんで日の丸を振り、君が代を歌ってくれる。第二に、「障害」の有無によってオリンピックとパラリンピックを分けるところが気に入らない。宇宙塵には、健全者と障害者が入り混じって格闘するプロレスの方が、ずっと面白い。そして第三に、「障害者のオリンピック」というけれど、実際出場者のほとんどは、「生まれつき」ではない、いわゆる「中途障害者」であって、宇宙塵に言わせるなら、パラリンピックとはいまだに健常者社会の競争主義的な価値観を持ち続けている人々による競技会なのだ。

 それにしても、たまにやってくるはずのオリンピック、万博、サミット、ワールドカップなど、国をあげて頑張るイベントというのは、全部合わせるとしょっちゅうあるものだ。大阪ではオリンピック招致で大騒ぎ。愛知では万博の準備で大わらわ。ぼくが住む町の駅でも今、電光掲示板で、「ワールドカップまであと何日」とやっている。「地元開催を成功させよう!」

 毎度のことにもうそろそろ人々も飽き飽きしてこないものだろうか。カンフル剤的な経済効果を狙うのは、大型公共事業依存症の国民には朝飯前だろう。でもそれだけではない。自分の住む町に、「あと何日」という表示が出るのがぼくにはとても不快だ。それは、ミヒャエル・エンデの『モモ』の灰色の男たちが、町に持ち込んで以来すっかり人々の心を変えてしまったという時計みたいなもの。それは、われわれが「みな同じゴールへ向かって直線的に進んでいる」という幻想をつくり出そうとする一種の「時計」。普通の時計が、リニアで均質で共通な時を刻むもの、というのもひとつの幻想だといえるが、「あと何日」にはさらに「共通のゴール」という物語がつけ加わっている。そこへと向かって生きることが、まるで共同体の一員である条件だとでもいうように、つまりそこからの脱落には孤立という罰が待ち構えているとでもいうように、「あと何日」はぼくを縛ろうとする。ぼくにはそう感じられる。

 一九六四年のオリンピックを思い出す。それは少年だったぼくにとって忘れがたい強烈な経験だ。大げさと言われるだろうが、ぼくより上の世代の戦争体験にも似ているとぼくは勝手に思っている。

 その日に間に合うように購入したカラーテレビで開会式を見ようと、近所の人々が我が家にやってきていた。興奮に少し上ずったアナウンサーの声。アジアの、ニッポンの、東京の空の下に初めてひるがえる五輪旗。終戦の年に広島に生まれ、戦後逞しく成長し、すらりと伸びた長い足をもつにいたった最終聖火ランナー。戦争の象徴から平和の象徴へと変身した天皇の開会宣言。乱れ飛ぶハト。

 それはよくできた物語だったといえる。近所の人々はみな泣いていた。ぼくの心も高ぶっていた。今思えば恐らくそれはこういうことだったろう。ぼくたちは皆一体感を感じていたのだ。ともにひとつのストーリーを生きているという一体感。廃虚の街は繁栄の都に生まれ変わり、貧しさは豊かさへと、破壊的な戦争は平和的な競争へと変換される。それは「奇跡」の物語。奇跡の復興、奇跡の経済成長。この物語に心酔したのが日本人ばかりでなかったことをぼくは後に知る。世界中を被いつくそうとする「成長」と「開発」のイデオロギーが、東京オリンピックに恰好の寓話を見出していた。今よりも明日は、来年は、次世代は、そして未来は、よりよいものになると、人々は信じることができた。だから頑張ろう、きみもぼくも。



*     *     *


 宇宙塵はしょっちゅう人から「がんばれ」と言われる。ゴミを出しに行く時さえ、近所の人に「頑張ってね」、と。おかしくてしかたがないというふうにからだを大きく揺すって笑いながら宇宙塵は言う。「ゴミがゴミを捨てに行くんだから、ね」。ある時誰かが別れ際に、つい「頑張ってね」と言った。そう言われた宇宙塵はやはりクッ、クッと笑いながら(それにしても彼は本当によく笑う)「ガン・バラ・ナイ・ヨ」

 『五体不満足』という本がベスト・セラーになり、著者の乙武洋匡{おとたけ・ひろただ}がメディアで活躍し始めてから、暮らしにくくなった、と宇宙塵は不満そうに言う。「あんたも出歩く時は乙武さんみたいに、少しパリッとした格好しなくちゃね」とか、「乙武クンのようにネクタイでもしたら」とかと言われるようになった。以前にはなかったことだそうだ。概して、障害者に向けての「頑張れ」という声は、以前より一層声高になったのではないか、と宇宙塵は感じ、それを危惧している。

 「ぼくは乙武に腹をたてているんじゃない、乙武をああいう形でもち上げるメディアに対して怒っているんだ」と彼は言う。それにしても『五体不満足』の大ヒットは何を意味しているのだろう。「ルックスがいい」こと、言語障害がないこと、などがまず乙武ブームの背景にあるだろう、と宇宙塵。そして、養護学校に行かずに普通教育を受けたこと、そういうことを可能にした親や教師に恵まれたこと。これらもまた乙武と他の大部分の障害者とを隔てる大きな違いといえるだろう、と。

 ここで少し『五体不満足』をおさらいしてみよう。主人公乙武少年は頑張り屋で負けず嫌いだ。手も足もない障害者であることを「言い訳にしない」という信念をもって、彼はスポーツ競技に、文化祭に、生徒会役員選挙に、恋愛に、入学試験にと挑戦してゆく。水泳記録会でのこと。少年は特製のスーパービート板にのって観衆の応援の中、みごとに二五メートルを泳ぎきる。


[先生は]「その身体でよくそれだけのことをやった」とボクを抱き上げたい気持ちを抑え、大声で怒鳴っていた。

「1分57秒? いつもよりぜんぜん遅いじゃないか」

だがその言葉の裏には、心からの祝福の気持ちが込められていた。

「おめでとう。オマエを特別視することのない、本当の仲間を得ることができたんだ」


 中学二年の時の生徒会役員選挙でのこと。


ボクは燃えた。・・・入学してからここまで3期連続で文化実行委員を務めてきた自負がある。成績目当てで立候補した[という噂がある]ヤツなんかに負けるわけにはいかない。

・・・激しい選挙活動が功を奏し(!?)結果は大勝だった。・・・それにしても、この中学校も恐いもの知らず。車椅子に乗る障碍者をバスケ部に入れただけでなく、今度は生徒会役員にしてしまった。


 アメリカ西海岸への旅で大学生の乙武は、アメリカ人の障害者がおしゃれだということに強い印象を受けたという。日本ではおしゃれを楽しむ障害者が少なすぎる。ふだんからおしゃれをしないでジャージーで過ごしているようでは一般の目に「かわいそう」だと映ってしまう、と彼は心配する。「カッコイイ障害者」であれば「かわいそう」とは思われないだろうに。


本人がよければ、それでいいではないかという意見も、たしかにあるだろう。しかし、世間に対する障害者のイメージを変えるためにも、そして自分自身の生活を張りのあるものにするためにも。「もっともっと、オシャレを楽しもうよ」と言いたい。


 こんなふうに著者の乙武は次々に「心のバリア」を越えて成長してゆく。そしてしまいには自分の障害を単なる「身体的特徴」と感じるまでになる。『五体不満足』の終わりの方で彼はこう言い切っている。「単なる身体的特徴を理由に、あれこれと思い悩む必要はないのだ」。そして最後にヘレン・ケラーのことば。「障害は不便である。しかし不幸ではない」

 さて、いまだに乙武ブームが続いている一九九九年の秋、宇宙塵が出たばかりという一冊の本を推薦してくれた。「史上初の身障芸人」を自称するホーキング青山の『笑え!五体不満足』だ。著者の青山によると、これまでの障害者による本はどれも「自分は障害を持ちながらも、こんなに立派に生きてきました!」という感じで、もし同じものを健常者が書いていたら誰も興味を抱かないような、「身障だから出せた」という類いの本だったという。その点では『五体不満足』も例外ではない、と。さらに『五体不満足』ブームについて序文の中でこう言っている。


・・・以来、みんな急に“身障理解者”になってしまった。「『五体不満足』を読んで、障害者の方も私たちとまったく同じ、普通の人間だということがわかりました」なんてバカな感想を聞いてると、じゃあそれまで、一体オマエは身障を何だと思ってたんだよ? などと、言ってやりたくなる。


「そんなくだらない身障本が横行している」今、自分こそは本物の身障本を書き上げたのだと、青山はプロレスラー風に見得をきってみせる。そして自分の本の内容を次のように要約する。


「かわいそう」だの「立派」だのという、世間の偏見に苦しむ身障の本当の姿を露にすること・・・。「バリアフリー社会」に向おうとしているわが国に、「身障のために情けなんて掛けたって何にも返ってきやしないよ!」という警鐘を鳴らし・・・。


 『五体不満足』についての宇宙塵の不満もここにある。ホーキング青山が指摘するように『五体不満足』は「障害を頑張って乗り越えた男」の話になってしまっている。いくら著者の乙武が「障害は単なる身体的特徴にすぎない」と言っても、彼の本は全体としてそのことばを裏切っている。それは、宇宙塵が言うように、乙武がメディアに「乗せられた」ということだったかもしれない。メディアにとって『五体不満足』はあくまで「頑張り」の物語であり、障害者が健常者の社会の中に自らの場所を獲得してゆくサクセス・ストーリーに仕上がっている。おしゃれで、スポーツ好きで、負けず嫌いで、競争心に富んでいる主人公こそこのストーリーにふさわしいヒーローだったということだろう。

 それにしても『五体不満足』は誰の予想や思惑をも越えて、多くの読者をつかんだ。宇宙塵によれば、それは主人公が健常者の望む「障害者像」にピタリとはまった、ということを意味している。ぼくは健常者の読者のひとりとして想像してみるのだ。読者である健常者たちはこの本によってある種の大きな慰めを受けたのではないか。今流行のことばでいえば、「癒された」のだ。

*     *     *

 ぼくたちは健全者にも障害者にも、自分自身に対しても、「頑張れ」と言い、「頑張ろう」と言う。それも非常に頻繁に。(このことばを西洋語に訳すのが容易ではないところをみると、そこにはアジア、あるいは日本の文化的、社会的特性が関係しているかもしれない。しかし、それはここでは問わないことにしよう。) 同じ「頑張れ」でも、障害者に向けられる「頑張れ」が一層頻繁に、そして一層熱っぽく、力をこめて、声高に言われることはいわゆる健常者たる我々にも容易に想像できる。それはなぜだろう。

 一般に「頑張る」ということばは、競争を前提にしている。「頑張って」は「負けないで」と、ほぼ同義といえるだろう。ぼくたちはいつのまにか人生を一種の競争に見立てているのではないだろうか。競争とは何か。それは一定の目的{ゴール}に向かって勝敗や優劣を競い合うこと。人生のゴールが何であれ、我々は人生という名のレースを走る。「頑張れ」は、ともに同じレースを走る者同士の挨拶であり、励ましであり、牽制だ。

 しかし、健常者が障害者に「頑張れ」と言う時、そこには同情とともにかすかな罪の意識が潜んでいるのではないか。なぜなら、「このレースは障害者にとってフェアではない」という認識があるから。しかし、そう思いながらも健常者はこう言うしかない、と感じる。「このレースはフェアではないが、しかしそれでも君はレースを続けるしかない。なぜならそれ以外には生きがいのある人生はないだろうから」

 だから健常者は、脱落もせずにレースに居残りつづける障害者や、不利をものともしない障害者を賞賛せずにはいられない。心のどこかにわだかまっていた罪の意識も、「頑張って障害を克服した」人々を前にして、一瞬解消するように感じられる。そして、そうした人々の存在に励まされ、あるいは叱咤されるように、「自分もまた彼らに負けぬように頑張って人生というレースを続けていこう」と思う。なぜなら「それ以外には生きがいのある人生はないだろうから」

 「頑張る」ということばは戦争を連想させる、と宇宙塵は言う。確かに、社会が戦争(そしてオリンピック?)している時ほど、人々が「共通のゴール」に向かって生きているのを実感できることはないかもしれない。「国家総動員」のそんな時、障害者はまっ先に「足手まとい」として抹殺されるだろう、と彼は危惧する。近代史でもナチスがやっている。しかも、優生思想なら、この平和ニッポンでさえ刻々と強まっているのではないか。「これからは役に立つ障害者と役に立たない障害者とにはっきり区別される社会状況になっていくと思う」と宇宙塵。さらに彼が次のように語る時、それを誰が杞憂だと言ってすませることができるだろう?


僕が臓器移植をやめてほしい理由のひとつに、障害児/者の臓器を狙ってくる[という]危機感がある・・・。役に立たない障害児/者にとって唯一、人のためになるのは臓器提供だけだということになりかねない。



 ぼくはナマケモノでいたいんだ、と宇宙塵は言う。好きなように生きたいんだ。着てるものはボロでもいいんだよ。だから放っておいてくれ、と。ただし、「怠ける」というのは、自分に対してではなく、社会に対して、なのだとも彼は言う。自分には自分のペースがあり、基準があり、それに従って自分なりに生きている。しかし、健全者社会が自分に押しつけてくるペースには従わない。抵抗する。それがナマケモノでいるということ。

 社会は加速する。同じ矢印の方向へ向かって、人々は先を争うように進んでいく。速さを競う社会は障害者にとって住みやすい社会ではない。

「ぼくには生きにくいんだよ、今の世の中。でも健全者にも生きにくくなっているんじゃないかな、ますます。いや、健全者の方がもっと生きにくいかもしれないよ、もしかすると。ぼくのようなナマケモノを見て、健全者が自分自身の生きにくさに気づいてくれたらいい」

 こんな言い方をする宇宙塵に、反発を感じる健全者は多い。「あいつは我々が頑張って働いているおかげで生きていられる」とか、「福祉に対して感謝くらいしたらどうだ」とか。障害者に対するこういう反発が社会に広く深く根を張っていることを、もちろん宇宙塵は十分承知している。だからこそ彼はあえて言う、生活保護はいただいているのではなく、奪い取っているのだ、と。

 権利ということばは使いたくない。そんなことばが発明される前からある、当たり前のことが見えなくなるから。誰でも生きられるというただそれだけの当たり前のことが。

 障害者の中には、福祉を受けることに対して罪の意識を感じる人が多い。健常者の「おかげ」で生きている、いや生かしてもらっているという負い目。

「生きることに、なぜ負い目を感じる必要がある? 誰でも生きられる、障害者でも生きられる、それが当たり前でしょ」

しかしそれが当たり前ではなくなっている社会が異常なのではないか。障害者が「ありがとう」とか「すみません」とか言いながらペコペコして生きる社会は、はたして健常者にとって生きやすい社会なのだろうか。そう宇宙塵の生き方が問うている。

「ぼくは当たり前に生きたいだけ。だからぼくはガン・バラ・ナイ・ヨ」

*     *     *

 それにしても「障害」とは、風通しの悪い、窮屈で厄介なことばだ。障害、障碍、障がい、ショウガイ。「健常」も「健全」も思えば奇妙なことばだ。

 著述家で、脳性マヒによる四肢機能障害をもつ松兼功は、ある時鼻の先でワープロのキーを「ショウガイ」と打って、変換キーを押してみたという。そこに現れたいくつもの単語に触発されて、彼は詩をつくった。その最後の一連。


ショウガイに ショウガイがあふれて

ときには わずらわしいけど

ショウガイ ひとに

喜怒哀楽する

ショウガイ ノ チカラ


ここでは、「ショウガイ」が「障害」ということばの罠から一瞬解き放たれて、楽しげなエネルギーを帯びて、踊る。 

 やはり著述家で、重複障害の娘をもつ最首悟は、障害ということばを「さしさわり」ということばにおき直してみせる。すると、確かにそこに風が通い始める。健常者も身障者もみな差し障りのある人々。誰もが差し障りだらけの人生を生きている。しかし、最首が指摘するように、そうした差し障りに対してぼくたちの社会はますます不寛容で短気になっているのではないか。人間にはつきものであるはずの「些細なミス」が許されない、「ゴロッと横になりたい気分」のやり場がない、「のんべんだらりとした時間」を過ごす余地がない、そんな窮屈な社会へと我々は向かっているのではないか。そうして「差し障り」を「障害者」だけに背負いこませたふりをする。塵をカーペットの下に掃き入れて見えなくしてしまうように。かくてぼくたちは「健常者」、つまり「差し障りのない人間」になるのだ。

 ある夜、ぼくは宇宙塵と音楽を聴き、酒を酌み交わしながらゴロゴロしていた。彼は加川良というフォーク歌手の七〇年代の反戦歌をかけてくれた。「青くなってしりごみなさい、逃げなさい、隠れなさい。・・・命をすてないようにね」。愉快な気分だった。

 その時、宇宙塵がこんな話をしてくれた。最近のテレビのインタビュー番組で、聞き手の女優が脳性マヒのゲストを前に「脳性マヒの方々は脳がしっかりしていらっしゃって、普通の人とかわりないから・・・」というようなことを言った。するとゲストもそれに同調した。その時ゲストはどうして「いいえ、しっかりなんかしてないよ」と応えてくれなかったのか、と宇宙塵は残念がるのだ。「そのことばひとつで助かる人もいるんだよ、そのひとりがこのぼく」、だと。

 聞き手もゲストも差し障りのないことばで、つまりきれいごとですませたわけだ。例によってからだを大きくゆすって笑いながら、宇宙塵はこうぼくに言う。「差し障りだらけのぼくは、そんなにしっかりしてないよ」、と。彼がそう言ってくれてよかった。そのことばで助かる人もいるだろう。ぼくもそのひとりだ。



引用・参考文献:


乙武洋匡『五体不満足』(講談社)

ホ−キング青山『笑え!五体不満足』(星雲社)

福田稔「おっと、と、どっと、ごくろうさん」(『読書会通信』第一三四号、一三七号)

松兼功『ショウガイ ノ チカラ』(中央法規)

最首悟『星子が居る』(世織書房)









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