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グローバルからローカルへ 大江正章の言葉

大江正章さんが亡くなられた。彼が果たしてきた役割の大きさを思い、呆然としている。実に多彩なキャリアと幅広い活動のなかで、特にぼくが接点をもたせていただいたのは、脱成長とローカリゼーションという分野だった。ぼくは彼の著作から多くを学びながら、同時に社会活動家の仲間として尊敬し、信頼していた。2017年〜19年の「しあわせの経済」フォーラムでも大事な役割を担ってくださった。2017年の『しあわせの経済』世界フォーラムでは、「地域経済を取り戻す」の分科会に、ジョージ・ファーガソン(建築家、元ブリストル市長)、枝廣淳子(環境ジャーナリスト、東京都市大学環境学部教授−当時)、許文卿(地域社会研究者、韓国、全州大学)の各氏とともに登壇、プログラムに、次の文章を寄せてくれた。



<グローバルからローカルへ、私の視点>  大江正章(おおえ・ただあき)


今から約40年前、経済学者の玉野井芳郎らが「地域主義研究集談会」という緩やかなグループを組織し、「地域主義」を提唱した。それは「既成のものの枠をこえた何かを視座におこうとし」、多くの人たちに注目されていく。彼はこう述べた。


「地域主義とは、地域に生きる生活者たちが、その自然・歴史・風土を背景に、その地域社会に対して一体感をもち、経済的自立性を踏まえて、自らの政治的・行政的自律性と文化的独自性を追求することをいう」

「地域に自分をアイデンティファイする住民の自発性と実行力によって地域の個性を生かしきる産業と文化を内発的につくりあげてゆく」


そこには、欧米を追いかけ、「もっと速く、もっと大きく、もっと合理的に」というグローバリズム的発想への明確な批判があった。78年に出版された『地域主義』には、地域医療、コミュニティ・バンク、有機農業など現在の重要テーマが「地域主義の実践」として、論じられている。


残念ながら、85年の玉野井の死去や86年以降のバブル経済などによって、こうした思潮はほぼ姿を消す。だが、昨今の田園回帰する若者たちの発想・行動・感性を見ていると、地域主義は再びそこに生きていると強く感じる。


ぼくは80年代前半に編集者として最晩年の玉野井と仕事し、『いのちと農の論理――都市化と産業化を超えて』という本を創った。ここに、いまに至るぼくの原点がある。



師と仰ぐ玉野井芳郎さんから受け継いだエコロジーと地域主義の思想が、大江さんの活動のうちに息づき、日々新しい展開を見せていた。その一端にでも触れるご縁をいただいたことに感謝している。これからも、彼の著書から多くを学ばせてもらいたい。


本ブログでは、まず、「コモンズ」のホームページより抜粋した略歴。次に、そこに記されているご著書のうち、地域をテーマとする名著二冊の、それぞれ「はじめに」と「あとがき」から数節抜粋させていただく。「グローバルからローカルへ」を志向する人々にとって、大江正章の言葉はよき導きとして、ますます光を放つに違いない。 辻信一

 

(1)略歴

1957年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、学陽書房入社。1996年にコモンズ創設。

環境・農・食・アジア・自治などをテーマに暮らしを見直し、わかりやすいメッセージと新たな価値観を伝えることをモットーとしている。2009年に梓会出版文化賞特別賞受賞。

また、ジャーナリストとして、中山間地域から都市部までの広い範囲で、地域づくりや農業の現状、農に親しむ市民、新しい公共のあり方などについて、多くの取材・考察・執筆を行う。

NGO活動にも力を注ぎ、アジア太平洋資料センター共同代表、全国有機農業推進協議会・コミュニティスクールまちデザイン理事を務める。


●主著: 農業という仕事――食と環境を守る』(岩波ジュニア新書、2001年) 『地域の力――食・農・まちづくり』(岩波新書、2008年) 『地域に希望あり――まち・人・仕事を創る』(岩波新書、2015年) 『くわしくわかる!食べもの市場・食料問題大事典』(監修、教育画劇、2013年) 『経済効果を生み出す環境まちづくり』(共著、ぎょうせい、2010年) 『新しい公共と自治の現場』(共著、コモンズ、2011年) 『政治の発見⑦守る――境界線とセキュリティの政治学』(共著、風行社、2011年) 『場の力、人の力、農の力。――たまごの会から暮らしの実験室へ』(共著、コモンズ、2015年) 『田園回帰がひらく未来――農山村再生の最前線』(共著、岩波ブックレット、2016年)など。



(2)地域の力−−食・農・まちづくり (岩波新書、2008)


はじめに」より


・・・地域に愛着をもった人びとが自らの自然・環境・人的資源を生かし、活気ある地域づくりをしている農山村や集団も決して少なくない。地理的条件が厳しいほど、知恵と工夫と斬新な取り組みが進んでいるように思われる。そうしたところを訪ねると、単に経済成長や市場原理という狭い世界にとどまらない、人と自然、人と人の関係性の豊かさが息づいている。利潤の追求のみを目的としない、相互扶助を重視した「連帯経済」が生まれつつあるとも言えるだろう。


取り上げた地域には4つの共通点がある。

第一に、地域資源を生かし、それに新たな光をあてて暮らしに根ざした中小規模の仕事(生業)を発展させ、雇用を増やしていることだ。

第二に、民間・農協・森林組合・自治体と所属はさまざまだが、地域に根づいた、そして前例にとらわれない発想とセンスをもち、独走はせずに仲間を引っ張っていくリーダーの存在である。

第三に、Iターン(よそ者)とUターン(出戻り)が多いことだ。多くは都会育ちのよそ者は第一次産業の復権や環境保全と言う価値観のもとに地域の魅力を発見し、全国に伝えている。それがまた新たな人を惹きつける。

第四に、メインとなる仕事で現金収入を得ながら、自らの食べるものをつくり、自給的部門を大切にしている人たちが多いことだ。彼らは、安全な食べものをつくる農の担い手でもある。それが過度の商品経済の浸透の防波堤となり、そこそこの現金で暮らせる生活のベースを形づくっている。


それは、新自由主義にもとづく弱肉強食の世界と対極にある、「共」(コモンズ)的存在をベースとした社会と言える。コモンズとは、厳密には、「商品化という形で私的所有や私的管理に分割されない、また同時に、国や都道府県といった広域行政の公的管理に包括されない、地域住民の『共』的管理(自治)による地域空間とその利用関係(社会関係)」(多辺田政弘)である。ただし、広義には、「みんなのもの」(村井吉敬)、「人と人を結ぶ場」(中村尚司)、「地域の共同の力」と理解していいだろう。


あとがき」より


「うちの村は何とか頑張っているけれど、木材価格が大幅に下がって林業では暮らせなくなったことが、全国の山村が抱える最大の問題だ。輸入木材の関税を高くすれば、仮に補助金がなくたって山村は生き返る」

同様な趣旨の話を各地でよく耳にする。経済界や主要政党は金科玉条のごとく自由貿易の推進を言うが、食べものや木材を自由貿易に委ねることは間違っている。WTO (世界貿易機関)体制や自由貿易協定(FTA)は見直される必要がある・・・。


日本のように世界各地から買い漁る姿勢は、発展途上国の食べものに影響与えるという意味でも、フードマイレージ、ウッドマイレージの増大という面でも、改められるなければならない。農産物の自由貿易は決して餓えを解消はしない。なぜなら、食物は、余っているところから足りないところへではなく、値段の安いところから高いところへしか移動しないからだ(山下惣一『農業に勝ち負けはいらない!』家の光協会)。内橋克人が強調するとおり、食べもの=Food、エネルギー=Energy、福祉=Careは自給されるべきである(FEC自給圏)。



(3)地域に希望あり−−まち・人・仕事を創る (岩波新書、2015)


はじめに」より


東日本大震災と未曾有の原発事故から四年が経過した。残念ながら、当事者不在の「復興」が進んでいる。大規模に農地を集積し、植物工場を造り、ゼネコンが除染を受注し、原発を再稼働する。しかし、今問われているのは、この原発事故を引き起こした構造であり、一九六〇年代以降の高度経済成長、二〇〇〇年代以降の東京一極集中にほかならない。二〇世紀型の産業社会は地球環境から見て明らかに限界だ。食料の六割とエネルギーのほとんどを外部に依存した現在の日本社会は、歴史的に見て異常である。都市型社会に未来はない。


若い世代はそれに敏感に気づき、価値観が変わってきた。彼らは人間と環境にやさしい社会を志向し、減速して生きようと考え、都市から地方への人口移動が起き始めた(田園回帰・半農半X)。また、最新の「国民生活選好度調査」(二〇〇一年度)によれば、世の中は「暮らし良い方向に向かっていると思う」と回答した人はわずか14.3%で、一九八〇年代や九〇年代より大幅に低い。一人当たり実質GDPは伸びても、多くの人々は未来に希望をもてないのだ。しかも、アベノミクスによって貧富や都市と地方の格差が広がっている。


だから、私たちはこれまでの社会のあり方と生き方を変えるしかない。都市と第二次・第三次産業に偏重した経済成長路線から、農山漁村と第一次産業を重視した内発的発展路線へと。


各章には、前述した脱成長に加えて、いくつもの共通点が存在する。それらは、これからの地域が本来の豊かさを実現していくための重要なポイントでもある。

第一に、企業誘致、公共事業依存路線に未来がないことをふまえたうえで、環境と自治を重視した持続可能な地域づくりを明確に意識している。

第二に、無理に事業や規模を拡大しようとしていない。身の丈にあった着実な進展、小さな成功の積み上げを大切にしている。その結果として、地域が発展し、人が集う。かつてシューマッハーは著書『スモール・イズ・ビューティフル』で注目を浴びたが、現在は「スモール・イズ・ポシブル・アンド・サステイナブル」。小さいからこそ可能性がある。


第三に、地元に根ざした組織や仕組み(NPOや株式会社など)を設け、役割を分担している。それらが存在するから、仮に当社のリーダーが欠けても地域づくりが持続する。

第四に、農山村の価値や知恵に学ぶ都市生活者やボランティアという応援団がいる。それは、交流人口や資金の内部循環の増大につながり、交流から定住へと進むケースも少なくない。

第五に、農山村と都市を敵対する存在とはとらえていない。両者は共存すべきものである。ただし、都市で人間らしく生きるためには農の存在が不可欠だろう。

こうした地域には、希望がある。


あとがき」より


・・・たとえば次のような(豊かさの)指標はどうだろうか。あえて試論を提示して、批判をあおぎたい。

① NGO ・ NPOの数の多さ−私益ではなく共益の追求

② エネルギー消費量の少なさと自然エネルギー比率の高さ

③ 女性の経済活動参加率の高さ

④ 職種の多さ(特定企業に雇用される人々の比率の低さ)

⑤ 頼りにできる知人や制度の多さ−依存し合わない自立は単なる孤立

⑥ 移動における公共交通・自転車利用率の高さ

⑦ 人口におけるIターン・ Uターン者率の高さ−同質な社会はほどもろい

⑧ 資源の地域内循環率の高さ点

⑨ 全国展開のスーパーやコンビニでの購買金額の少なさと地域金融機関(信用金庫・信用組合・NPOバンク)への預金率の高さ−資金の地域循環

⑩ 施設ではなく地域で暮らす障がい者や高齢者の比率の高さ、

⑪ 家庭菜園・市民農園などで食べものを作る人々の多さ−自給の喜びと脱市場経済。



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