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20年目のキャンドルナイト その3  辻信一

今では「キャンドルナイト」として知られる運動が始まったのは2001年。カナダのバンクーバーで発信された電力ボイコット=自主停電キャンペーンを受けて、ナマケモノ倶楽部の仲間たちと、開店したばかりのカフェスローで、“暗闇ナイト”をやったのが最初だった。

ぼくが2004年のちょうど今頃書いた文章で、その頃を振り返ってみたい。

5回連載の第3回は、ぼくのキャンドルナイトの思想の原点である故松下竜一さん(作家・社会活動家 1937〜2004)の「暗闇の思想」についてだ。

それを参考に、ぜひ、あなたも、自分自身の「キャンドルナイトの思想」を育んでほしい。

 
カナダ、ケベック州北部

(3)暗闇の思想


日本の夜は明るい。高度成長の時代、あの「明るいナショナル」のコマーシャルソングをテーマソングに、まるで人々は闇を恐れ、目の仇にするかのように、家を、公共の場を人工的な灯りで照らし続けた。思えば、「電気」という言葉が「光」や「灯り」をも同時に意味する文化は、異様だ。かつての陰影の美学は、欧米で工場の照明と見なされる蛍光灯によってつくられるのっぺらぼうの空間の中に没してしまった。それにしても「蛍光灯」という古めかしい言葉も皮肉を通り越して不気味なくらいだ。


失われた暗闇。思い出すのはぼくの友人が親しくしている松下竜一さんのことだ。かつて、松下さんが、自分の住む大分県中津市に予定されていた火力発電所の建設反対運動にとり組んでいた頃のこと。ある冬の夜、彼は家の電気を止めてしまったことがある。「火電建設反対などと生意気な運動をしながら、お前んとこの電気はあかあかとついちょっじゃねえか」。こんな匿名の嫌がらせ電話を受けて、「ふと冗談みたいに家中を暗闇にしてしまった」と彼は言うのだ。


冷たくなった電気ごたつに一家3世代5人が寄り添っていると、まずひとりの子が問う。

なあ、父ちゃんちゃ。なし、でんきつけんのん?

松下さんが答える。

うん。窓から、よう星の見えるごとおもうてなあ

子どもからの次の問いは、

「とうちゃん、なし、こたつつめたいのん」

「うん、今からおとうさんがのう、かわいそうな女の子の話をしてやろうなあ」


それは子どもたちにもう幾度も話して聞かせた「マッチ売りの少女」の話だった。話が終わりに近づき、凍えた少女が売れないマッチをするところで、松下さんは実際にマッチを一本すってみせた。その時の様子を彼はこう記している。


暗い部屋に、思いがけないほど美しい炎がともった。それは、寄り添うて驚きの目をみはっている健一と歓の瞳の中にも、小さくキラキラと燃えた」(松下竜一『暗闇の思想を』より)




松下さんはこの夜の「冗談みたい」な「自主停電」がきっかけとなって、大まじめに「暗闇の思想」ということを考えるようになったという。しかもその暗闇とは、比喩ではなく「文字通りの暗闇」のことだ、と。時は1970年代の初め。彼が反対運動をしていた火力発電所は、山口県、福岡県、大分県にまたがる周防灘という美しい遠浅の海を埋め立てて大工業地帯をつくろうという計画の一部だった。またこの計画は全国に展開されていた日本列島改造という氷山の一角にすぎない。全国あちこちに公害が頻発していた。


しかし開発は、経済成長は、そのための電力需要の増大は、止めようがない、と社会全体が信じているように見える。それは、まるで日本がこの世から闇を消し去ろうとする狂気に包まれたようだった。しかしそんな時だからこそ、「暗闇にひそんでの思惟が今ほど必要な時はないのではないか」と考えた。


「じゃあチョンマゲ時代に帰れというのか」と反論が出る。必ず出る短絡的反論である。現代を生きる以上、私とて電力全面否定という極論をいいはしない。今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えようというのである。


もう30年以上前の話だ。しかし、同じような議論は今も延々と続いている。乱暴な開発に歯止めをかけ、しばらく「鎮静の時」をもち、その間に公害の後始末をし、環境アセスメントをしっかりやろう。そう松下さんは言っていたのだ。その上で必要ならまた建設を考えてもいいのではないか、と。こういうとまた「たちまち反論の声があがるだろう」と松下さん。そして経済専門家たちが嘲笑するだろう、と。それに対して彼はこう応じる。


だが、無知で素朴ゆえに聞きたいのだが、いったいそんなに生産した物は、どうなるのだろう。・・・公害による人身被害、精神荒廃、国土破壊に目をつぶり、ただひたすらに物、物、物の生産に驀進して行く着く果てを、私は鋭くおびえているのだ。


30数年の後、ぼくたちは松下さんの言う「行き着く果て」を荒廃した風景を世界のいたるところに見ている。彼の言った通り、ぼくたちは蛍光灯の明るさの下に自由や幸せを求めてきたらしい。電気の消費量が多ければ多いほど、夜が明るければ明るいほど、その社会は豊かで進んでいる、という奇妙な思い込みに我々は囚われていたようなのだ。そして、経済成長のためには、戦争をしたり、自分たちの命を支えている生態系を壊したりしても仕方がない、とさえ感じるようになっている。


冗談でなくいいたいのだが、「停電の日」をもうけてもいい。勤労にもレジャーにも過熱しているわが国で、むしろそれは必要ではないか。月に一夜でもテレビ離れした「暗闇の思想」に沈みこみ、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか。


これは禁欲の奨めではない。豊かさへの倫理的な反発でもない。それはただ、「幸せ」とか「豊かさ」という観念を「もう一度素朴に考え直す」ことにすぎない。(同上、34頁)

松下さんは、彼の暮らしに満ちている愉しさや美しさや安らぎを失いたくないと願っていた。それだけのことだ。


家の中に物があふれたら即ゆたかだということにはなるまい。中央の半分の所得でも、私たちは美しい空の下に住み、遠浅の海では貝掘りも楽しめる。用を足すには、自転車でゆけば足りる広さの町。――これほど心ゆたかな生き方があろうか。


冗談みたいに「ナマケモノの思想」を語り始め、冗談みたいに「自主停電」をやり始めたぼくだが、今は冗談でなく、文字通り、電気を消して暗闇の思想に沈み込みたいと思う。


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参考:松下さん、「冗談半分のスロー大賞」を受賞

http://www.sloth.gr.jp/aboutus/slowaward2004.html


「スロー大賞(slow award)」2004

2004年9月、ナマケモノ倶楽部では「スロー大賞」を設け、国内と海外でスローな世界ののために尽力している人を各1人(団体)、勝手に表彰することにしました。 記念すべき第1回(2004年度)のスロー大賞受賞者は、以下の方々です!  海外:フニン村・地域発展評議会  国内:故・松下竜一さん

受賞者には、賞金10万円+10万ナマケ(ナマケはナマケモノ倶楽部が取り組む地域通貨です)、スローな版画家・佐藤國男さん(函館、山猫工房主宰)による額縁に入った賞状が贈られました(賞金にはナマケモノ関連企業からの協賛金が含まれています)。


「スロー大賞」

スローとは、人と人との、そして人と自然との、フェアでエコロジカルで平和的でスピリチュアルなつながり方をあらわすことば。あなた(方)のスローな生き方は、ファストで貪欲で破壊的で暴力的なエネルギーに満ちた現在の世界に替わる、もうひとつの世界への入り口を指し示してくれます。そのことへの感謝と敬意のしるしとして、スロー大賞という名の小さな賞を贈ります。

2004年10月8日 愛、平和、そしていのち ナマケモノ倶楽部(代表:中村隆市、辻信一、アンニャ・ライト)


<松下竜一さんのスローライフ> by 中村隆市 松下さんは幼い時から身体が弱く、病気ばかりしていました。そのためでしょうか、いつも被害を受ける側の立場からものごとを考えるような人でした。環境の破壊や汚染に対しては、被害を最も受ける住民や未来世代の立場から反対していました。 松下さんが発行していた月刊「草の根通信-環境権確立に向けて」は、30年以上も発行され続けました。病気がちだった松下さんは、病院のベッドの上でも通信の編集をしていて、よく医者に叱られていました。九州では、環境運動や平和運動の大黒柱的な存在でした。 近年、松下さんが一番力を入れていたのが、脱原発と反戦運動でした。毎年8月15日の「終戦記念日」に、憲法9条を守るための意見広告を新聞に掲載する運動は、今年で22回目になります。 松下さんは、いのちと同時に、こころも大切にする人でした。はじめて私が読んだ松下さんの本は、電力会社との裁判闘争をユーモアたっぷりに描いた「五分の虫、一寸の魂」という本でした。当時、水俣病や四日市ぜんそくなどの公害病の実態を知り、暗く沈んでいた20才の私は、この本を読んで笑い転げました。そして、松下さんの優しい強さに惹かれました。 数年前まで松下さんは、毎日2時間近く洋子夫人と散歩をしていました。川の河口で、パンの耳をちぎってカモメに与えたり、ゆっくりと季節の草花などを眺めるのが好きでした。 いつもビンボーだった松下さんが書いた「底抜けビンボー暮らし」という本が、数年前に珍しく売れて、十数年ぶりに税金を納めたことがあります。しかしそれは、1万円にも満たない額でした。 そんなビンボー暮らしを見て、人は洋子さんに「どうしてパートに出ないの」と聞くのですが、「お金より二人の散歩の方が大切」と答えます。 30年以上も前に松下さんは、海を埋め立てて巨大コンビナートをつくる計画に反対し、「環境権裁判」を起こしました。弁護士に頼らず、本人訴訟であたり前のことを訴えました。「美しい自然を子どもたちや未来世代に残したい」と。そして「物質的な豊かさだけを追い求めるのはやめて、少しの間立ち止まろう、ちょっとだけつつましい生活をしよう」と自主停電を呼びかけ、「暗闇の思想」を提唱しました。 100万人のキャンドルナイトの「でんきを消して、スローな夜を」という考え方を30年も前から言っていたのが、松下さんでした。(中村隆市 2004/07/07ナマケモノMLより抜粋)

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