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20年目のキャンドルナイト その4  辻信一

今では「キャンドルナイト」として知られる運動が始まったのは2001年。カナダのバンクーバーで発信された電力ボイコット=自主停電キャンペーンを受けて、ナマケモノ倶楽部の仲間たちと、開店したばかりのカフェスローで、“暗闇ナイト”をやったのが最初だった。

ぼくが2004年のちょうど今頃書いた文章で、その頃を振り返ってみたい。

5回連載の第4回、マハトマ・ガンディーから「キャンドルナイトの思想」を学ぼう。




(4)冬至の夜のチャルカ


ぼくと仲間たちは2003年の夏至の夜に続いて、冬至の夜にも、「100万人のキャンドルナイト」を全国に呼びかけた。夏至の規模には及ばなかったが、各地で愉しく、美しいキャンドルライトの催しが繰り広げられた。東京、青山では、「呼びかけ人代表者会議」の竹村さんや前北さんが仲間のアーティストたちと、暗渠の中に埋め込まれた川の流れをローソクの光で可視化してみせた。


ぼくはその夜、ネオンやイルミネーションで飾りたてられたクリスマス直前の街から、少しばかり離れた郊外で、若い友人たちとローソクの灯りの中で晩餐のテーブルを囲んだ。前にも触れた通り、ぼくはこの日、「一日ラマダン」をやったので、これがフトゥール、つまり断食明けの「朝食{ブレックファスト}」なのだった。朝焼けみたいにうっすらと赤いヤマモモの酒で乾杯したが、そのヤマモモはちょうど半年前の夏至の日の朝に家族で摘みにいったものだった。そのめぐり合わせに気がついて神妙な気持ちになる。


持ち寄りの手づくり料理。質素だが、たましいがこもっているからおいしい。ローソクの灯りに愉しげな若者たちの顔が浮かび上がっている。彼らは「ボディ・アンド・ソウル」という名のボランティア集団のリーダーたちだ。ちょうど一年前のグループ結成以来、日韓交流、ピースマーチ、ホームレス支援、農業体験など多彩な社会活動を展開してきた。その奔放なスタイルがぼくには新鮮だった。名まえの通り、「からだとたましい」が愉しむことだけをやっていこう、と彼らは考えているのだ。


グループ結成一周年を祝って、ぼくは彼らにこんなメッセージを贈った。

ある時、マハトマ・ガンディーにこんな投書がきた。あんたみたいな大物が、なんでいつも政治や経済の改革といった大事な話題のかわりに、バランスのとれた食事などというどうでもいいような話ばっかりしているのか、と。ガンディーは答えた。あなたの言う大変革が起きるまで、自分の食べるものを自分で料理したり、自分の家の周りを掃除したりしてはいけないなどということがあるだろうか。政治権力がなければできないことがあるのは認めましょう。しかし政治権力に頼らなくてもできることも山のようにある。第一、小さな改革すらできない者に、大きな改革などできるわけはありません、と。




ガンディーは自ら糸車{チャルカ}を回して糸を紡ぎ、またそれを人々にすすめた。世界をより良い場所に変えてゆくというのはそういうことだ、と彼は考えていたのだ。チャルカは、大地の恵みが人々の間に公平にいきわたるような世の中のありようを象徴している。「チャルカは一回転ごとに平和、親善、愛を紡いでいるのです」、と彼は言った。だから一日一時間、いや三十分でもいい、チャルカを回そう。それに勝るいったいどんな宗教礼拝があるだろうか、と。


一年前、君たちは、チャルカを回す代わりに種をまき、苗を植え、水やりをして、育っていく植物に寄り添う生き方を始めた。自分が何を、誰と、いかに食べるのか、という問いにこそ世界変革の鍵があると考えた君たちは、ファストフードからスローフードへの道筋を探った。夏至の夜、その君たちの畑でローソクを灯した。そしてそれから半年たったこの冬至の夜、君たちは再びローソクを灯している。


愉しげな活動の一年は君たちを変えた。君たちが変わっていく様にふれて、君たちの周囲の世界は少し、でも確かに変わった。ローソクは、種まきは、刈り取りは、スローフードは君たちのチャルカだ。それは平和、愛、いのちを紡いでいる。テロとしての経済、テロとしての戦争、テロとしてのマネーゲーム、テロとしての環境破壊の時代に、君たちは君たちのチャルカをゆっくりと回す。


一周年おめでとう。

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