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森と農の”あいだ” レイジーマンとマーティンの教え




マーティン・クロフォードと木の実を味わうサティシュ


昨日はスーパームーンの月食が見られず残念。夕方の森は、すでに深夜からの雨の気配をはらんでいた。まだ5月なのにすっかり梅雨の様相だ。


スーパームーン見たつもりなり梅雨景色 (信一)


朝の瞑想中に、「恵みの雨」という言葉がやってきたので、それを幾度か唱えてみる。

最近は毎日、わが森で、さくらんぼ(ヤマザクラの実)を収穫させている。繁殖期で大わらわのカラスたちが、一斉に帰巣していくのを眺めながら、一人ぼっちのフィースト。


この春以来、DVDブック『レイジーマン物語 タイの森で出会ったなまけ者』の仕上げにかかっていた。この映像と本のテーマは、北部タイのカレン族に伝わる森での農的営み、今でいうアグロフォレストリー(森林農業)だ。この本の中で、例えば、ぼくはこう書いている。


・・・どうみても庭というよりは“森”なのである。これを説明するのはちょっと大変だ。そこには、木の実、果実、野菜などの食用ばかりでなく、建材や道具の素材となる蔓や竹類、薬用植物に至るまで、80種に及ぶ有用植物が、低いものから高いものまで幾層にも重なっている。それは森のような菜園なのだ。日本人の目には、畑や庭というよりはジャングルだろう。(『レイジーマン物語 タイの森で出会ったなまけ者』近刊)



詳しくは6月末に刊行されるDVDブックを見てほしいが、そこでぼくが紹介することになるタイ・カレン族の農的な営みは、日本の里山とともに、今日、アグロフォレストリー(森林農業)と呼ばれ、世界中で注目されている持続可能な農業のあり方のよい実例の一つだ。


かつて、人間の農的営みと森は相対立するものではなかった。ぼくたちの祖先は、森林を破壊することなく、そこに寄り添い、依拠しづける農耕民だった。農耕の始まりは、人類の自滅への一歩だったという議論に飛びつく前に、一万二千年以上前から今へと続く、森と農の共生の歴史に思いを馳せなければならないのではないかと、ぼくは思う。


折しも、北海道や北東北の縄文遺跡群を世界文化遺産へ登録することが勧告された、というニュースがやってきた。縄文一万年もまたアグロフォレストリーの起源の一つと考えられる。(参考に、朝日記事の一部を最後に引用させていただく)


ここで、『Creating a Forest Gardening(フォレスト・ガーデンを創る)』の著者、マーティン・クロフォードに登場してもらおう。2010年、ちょうどこの本が出版された頃に、ぼくはゼミ生たちと、滞在中のイギリス、シューマッハー・カレッジのすぐそばにある彼のフード・フォレスト(食べられる森)をサティシュ・クマールの案内で訪ねた。その当時で、17年たっていたその森=庭にはすでに500種以上の木が植えられていた。その”森”は、自然の森林よりも、豊かな生物多様性をもつというのだが、ぼくや学生たちは、何よりも、その場の心地よさと美しさに惹かれた。マーティンの態度、たたずまいもまた、彼が創り出した森にふさわしい魅力に溢れていた。


この時の取材の様子が、のちに『サティシュ先生の 最高の人生をつくる授業』に出てくる。以下は、そこからの抜粋である。


フォレスト・ガーデンは世界最古の農耕

マーティンにいわせると、これこそが世界最古の農耕の形なのだそうだ。

「世界で農耕が始まったのはいつだか知っているかな。今までは12000年ほど前にメソポタミアで始まったとされてきたが、近年、それよりもさらに2000年前、つまり今から14,000年前だということがわかった。その最古の農耕の形が、アグロフォレストリー、すなわちフォレスト・ガーデンだったんだ。はじめは森の中にある植物を収穫し、そこから採取して森の外側に徐々に植えていく。そして新たな森をつくり、広げていく。それが最古の農耕だった」


森林農で特に重要な三つのポイント

第一に、土を耕さないことということ。やはり、これまでの農業の常識とは正反対だ。自然の森の中に展開する多様ないのちの活動で、最も重要なのは土の中だという。土中のキノコやカビなどの菌類は、そこにある栄養を遠いところまで分散させ、炭素を土中に固定するという大切な役割を果たしている。そのことで、森の豊かさを維持していくのだ。

自然の森は、一般的な畑よりもはるかに持続可能性の高い生態系を持っている。いや、森の生態系における持続可能性は無限といっていい。肥料も農薬もなく、クワやスキを入れる必要もない。むしろ無肥料、無農薬、不耕起だからこそ森のいのちは続いていくのだ。そんな森からヒントを得た森林農には、「森のあり方から離れていくほど、そしてただの畑に近づくほど、そこに注ぎ込まれるエネルギーが増える」という真実が曇りなく見える。だから、あくまでも自然の営みを生かすことを重要視するのだ。

二番目のポイントは、窒素固定を活かすことだ。窒素は植物にとって必要不可欠な役割を果たしている。だが植物は、空気中の約80%を占める窒素を、自らとり込むことができない。そこで、それを補うために存在するのがバクテリアだ。土の中、木の根っこの近くで活動し、窒素を空気中から土にとり込む役割を担っている。このバクテリアがうまく働くことで、自然循環の輪が途切れずにつながるのだ。

そして三番目は、多様性を重視するということ。人間は、何千年もの間、植物の種類を選別してきた。より多く、より大きな実をつけさせるためだ。しかしそれは選択肢を狭め、多様性を損なうということも意味した。

それは植物の立場からすると、人間の勝手な都合のために乱用され、大きなストレスを被ってきたともいえる。そういった植物ほど、多くの病気にかかりやすくなる。その代表例が、今では無農薬で育てることが不可能に近いといわれるリンゴの木だという。

病気にかかりやすくなった木には、より多くの農薬と肥料が使用されることになる。こうした「負のサイクル」に陥っているのが、農業の現状なのだ。だがフォレスト・ガーデンにある植物は、選別されず、農薬や肥料も使われていない、ありのままの状態だ。つまりストレスを被っていない状態だから、病気にかかることもないのだという。


在来=純粋性より、多様性を

ここにある多くのものはすでにイギリスで栽培されているものだ。大英帝国の時代から、この国には様々な植物が世界各国から集まってきていた。人々はそれらを長い年月をかけて、試行錯誤を繰り返しながら育ててきた。今日のように多種多様な植物がイギリスに根づいているのは、そういう歴史の結果だ。

確かに「外来種が生態系に悪影響を及ぼしかねない」というのはまっとうな指摘だが、イギリスではすでに多くの外来種が長い時間をかけて根づいているというのも現実だ。

「それどころか、イギリスの多くの場所で育てられている作物のほとんどは外来種なんだ」とマーティン。

在来種だけを、という純粋主義より、多様性を重視する立場を自分はとりたいとマーティンは考えている・・・


<5月27日の朝日新聞記事より>

縄文時代の始まりは今から約1万5千年前。人々は狩りで獣をとったり、海で魚や貝をとったり、果実などを集め、時に栽培したりする「狩猟採集」の暮らしを送っていた。「その日暮らしをしている停滞した文化というイメージを持たれがちだったが、縄文は世界史上例を見ない文化」と、東京都立大の山田康弘教授は話す。


縄文時代は世界史では新石器時代に相当する。西アジアなどでは農耕・牧畜の開始と定住がセットで進み、社会が発達したと考えられてきた。縄文文化はそのセオリーに反し、狩猟採集を基盤にしながら竪穴式住居などで定住を確立。生活の拠点のムラができた。


山田教授は「縄文時代は氷河期も終わって温暖化が進み、環境が良かった。ドングリがなる木にイノシシやシカといった動物も数多く出てきた。旧石器時代のように動き回らなくても、一定の範囲で食料を入手できるようになったことが大きい」と解説する。

縄文時代は稲作が始まる弥生時代まで1万年以上続いた。東北芸術工科大の青野友哉准教授は、この長さと定住のあり方がもう一つの特徴だと言う。2018年に世界遺産に登録されたグリーンランドの狩猟採集民イヌイットの文化でも継続期間は約6千年で、居住地は夏と冬で違う。「縄文の遺跡群は年間を通じて同じ場所に暮らす狩猟採集民が自然環境と社会環境の双方に適応が可能な、持続性の高い社会を実現していたことを示す」と指摘する。














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