• 辻信一

「ベンチに寝転がって本を読もう」 菊谷倫彦さんのこと

この時期によく来る「喪中につき・・・」のハガキ。数日前に聞き覚えのない差出人からの一通が届いた。もしや、と思ったら、やはりそうだった。亡くなったのは菊谷倫彦さんだった。二ヶ月前、まだ42歳という若さだったという。彼と会ったのは7、8年前だったと思う。その出会いについてぼくが雑誌に書いた2013年の文章があるので、それをここに披露させていただく。


それからまた二年経った2015年に、菊谷さんから、ご著書『無名なものの詩と革命 孫世代からみた吉本隆明』が届けられた。それを久しぶりに開いてみると、そこいら中にぼくが引いた傍線と書き込みが見られる。そう、この本からは大いに学ばせていただいたのだ。孫世代からの吉本隆明論を読むことで、今度は親世代のぼくが、自分の親世代の思想を、子どもの世代から学び直させてもらった。しかし、無精なぼくは、それを著者ご本人に伝えることもなかった。「無名なるもの」とは何か。その議論への導入部分だけでも次回のブログで紹介させてもらって、遅ればせながらの推薦文の代わりとしたい。


また、彼を紹介している記事と短いインタビュー動画があるので、ぜひみてほしい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1ed9c8e06530edd23a09cf67da6dd93ca2ab12a2

ご冥福をお祈りする。




・・・『減速して生きる―ダウンシフターズ』の著者高坂勝さんが、ある集まりで、「kototoi」という雑誌を編集し、出版している菊谷倫彦さんを紹介してくれた。菊谷さんはある出版社を退職し、手作りの小さな雑誌をつくって質素な暮らしを立てていく生き方へと、下降(ダウンシフト)したのだという。


彼にいただいたシンプルな雑誌には不思議な品格があって、手に取るだけで気分がいい。全部小文字の名前もいい。創刊号の編集後記には、いきなり、こんなあまりにも本質的な一文が出てきてドキっとする。

「ことばは、商品ではなく、贈りものである」


それに続く菊谷さんの問いかけも研ぎ澄まされた詩句のよう。モノも本来、商品ではなく、贈りものだったのではないか。「この雑誌も贈りものでありたい」と彼は言う。


また、「寝転がって読めるような雑誌」を目指すという。そう言われてみると、確かにぼくもいつからか寝ながら読まなくなってしまったようだ。そうやって読むことで「根っこ」が広がるのだ、と菊谷さん。根っこが「深まる」ではなく、「広がる」というのがぼくは気に入った。


それは、北米での学生時代、図書館嫌いだったぼくが、本はほとんどカフェで読んだことに通じると思った。音楽を聴いたり、窓の外を眺めたりしながら、まるで週刊誌を読むようなノリで、学術書を読む。おかげでぼくはおせじにも深いとは言えない人間になったが、でも、根っこはそれなり広がったかな、とは思える。


この編集後記だけで雑誌の価値はもう十分、あとは贅沢なおまけのようなものだ、と思いながらkototoiのページをめくっていく。すると途端にこんな文章と出くわす。

「・・・この国には椅子が人々に比して多いのではないか・・・」


「この国」というのは、筆者であるアフリカ研究者の勝俣誠さんが長年慣れ親しんできた国セネガルのこと。そこでは、「陽ざしに立っていると、人々が座れと日よけの下のベンチや椅子を勧めてくれる」。それに比べて日本はどうか、と筆者は問う。屋外の椅子がどんどん少なっているではないか。都会の駅のホームにはかつて、いくつものベンチが並び、子どもにも飲めるように配慮された水飲み場があったのに。勝俣さんはここに、「とにかく座れと促す社会」と、「とにかく移動せよという社会」の対照を見る。


(左上から時計回りに:イタリア、英国、ブータン、イタリア、タンザニア、ベルギー)



そう言えば、ぼくは旅をしながら、多くの時間をベンチで過ごしてきた。リュックを枕に一晩を過ごしたこともある。寝転がって本を読んだことも度々。


イギリスの小さな村には、それこそ人口より多いのではないか、と思うほどのベンチが並んでいた。例えば漁村の散歩道、ベンチの背のプレートにこんな言葉が記されている。「・・・さんご夫妻の思い出に。ここから河口の景色を眺めるのが二人は大好きだった」


チッタスロー(スロータウン)”運動の中心地であるイタリアのオルヴィエトでは、町のアーティストや職人たちが腕を競った創作ベンチが古い町並みに彩りを添えていた。それは、かつて道が共同体にとっての大切なコミュニケーションの場であったことを思い出させてくれる。


ベンチとは、休息や待ち合わせや読書や飲食の場所であり、語り合い、愛を交わし、瞑想する場である。それは公と私に支配された現代世界にしぶとく生き続ける「共」――誰のものでもなく、しかし、誰もが使えるコモンズ。そう、それは商品ではなく、贈りものなのだ。


ベンチとは一種のカフェだ、と言ってみよう。オーナーのいない宙ぶらりんのカフェ、すなわちカフェノマドだ。



バリ島

イタリア

デンマーク、アンデルセンとベンチング




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