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金井重さんを偲んで:スローなエネルギーが世界を変える

こんにちは、事務局の馬場です。今年もたくさんのあたらしい仲間が増えました。

現在の最新のナマケモノ会員さんは、会員番号2476番。

通し番号にしているので、実際の現在のアクティブな会員さんは400人強ですが、設立時からの22年間で、2400人の人たちが短いあいだでも「スロー」という言葉に惹かれ、自身のライフスタイルを見つめ直し、暮らしや経済から、そしてコミュニティから、スローを実践しようと動き出したことになります。

これらは、GNPのような市場の景気を動かす数値にはなりませんが、ナマケモノ倶楽部なりの「しあわせ度」をはかるGNHのひとつの成果といえるのではないかなと感じています。


と同時に、今年は何人かの会員さんをお見送りすることにもなった1年でもありました。12月5日、会員番号146番の金井重さん。通称シゲさんが老衰で亡くなられました。1927年生まれですから、94歳での大往生です。

シゲさんは、2000年からナマケモノ活動に参加くださり、2008年夏には西部ブータン、2014年には韓国、2015年秋には東部ブータンへのスローツアーにも参加、旅先で句を読んでくださいました。


ナマケモノ倶楽部から誕生した出版社ゆっくり堂の記念すべき1冊めの本、『ピースローソク』にも「スローなエネルギーが世界を変える」という辻さんとの対談を収録させていただきました。

追悼の気持ちを込めて、この2003年4月に行われた対談文章をみなさんとシェアしたいと思います。宇宙に帰ったシゲさん、あちらでもユーモアをきかせた俳句を詠んでいるのでしょうか。ナマケモノ倶楽部を応援し、事務局・馬場のこともことあるごとに気にかけてくださったシゲさん、今までありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。

写真は2015年11月、チモン村で同じ年のおばあさん写真を撮るシゲさん(右)


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スローなエネルギーが世界を変える 

金井 重x辻 信一

『ピースローソク』より(この対談は2003年4月におこなわれました)


金井重(かない・しげ)

旅人。福島県生まれ。日本労働組合総評議会で組合運動に従事。30年の労働生活のあと、1981年に旅をはじめ、現在まわった国は116ヵ国。70代半ばの今も、俳句を詠みながらゆっくりと世界を歩き続けている。座右の銘は、「人生とは道草にありと見つけたり」。著書に『年金風来坊シゲさんの地球ほいほい見聞録』(中公文庫)などがある。



役に立たないことの有用性


辻:「旅人」重さんとは、やっぱり「旅」ということから話したいと思います。旅にもいろいろあるけれど、重さんなりの旅の仕方がありますね。


金井:私は、偶然、旅を始めることになったんだけれども、それまでの人生とは全く違う、それまで知らなかった現実にぶつかるから、面白くて楽しくて、無我夢中で旅を続けたんです。そしていつの間にか、重流の旅のルールができてきた。それは、一言で言えばお金をかけずに時間をかけること。

 お金をかける旅というのは、例えば、長距離の移動は飛行機、市内での移動は全てタクシーにすることで時間を節約して、一週間でヨーロッパ数ヵ国をまわる、といったような旅です。ホテルからタクシーで自分の行きたいところへ行って写真を一枚、みたいに。すでにできているシーンを確認するためだけの旅です。お金をかければ時間は短くて済むけれど、お金をかけなければ時間がかかる。

 空港からもタクシーでなくてバスに乗ります。宿屋を数軒歩いて、値段と自分のニーズの折り合いのつくところに泊まります。バスはタクシーと違ってすぐに出発してくれない。こっちが待たなきゃなりません。でも、その待ち時間の間に、露店で食事したりして、そこに会話が生まれる。ツアーではないから通訳や専門家がついていないので、そこらへんのお店のおじさんやおばさんに聞くんです。すると、あそこからバスが出てるはずだよって曖昧に教えてくれる。「案内します」という子が出てきたり、馬車に乗せてくれたり、そういう出会いがある。


辻:どのくらいの期間旅に出ていて、全部で何ヵ国くらい行きましたか。


金井:この22年くらいの間に、10年弱は旅の空の下。まわったのは全部で116ヵ国ですね。一ヶ月で平均一国って感じです。


辻:重さんの旅には目的とか旅程というものはあるんですか。


金井:特別な目的はないんです。ただ行きたいから行くだけ。目的の無い旅。旅程もあってないようなもの。それが特徴なの。別に踏破する国の数を目標としているわけでもないんです。


辻:いやあ、本当にスローなんだなあ。よく記者なんかで何ヵ国行ったって威張っている人いますよね。会社のお金で旅行してるのに。それと比べると、重さんのは放浪に近いのかな。一方、冒険家とか探検家、登山家と言われる人たちもいます。彼らはみな目的地を持っている。登山家ならば山の頂っていう具合に。彼らの旅というのは、重さんには違和感がありますか。


金井:未踏破の登山や冒険は社会性があります。それに、誰にでもできるわけでもない。技術も訓練も調査も重要です。お金もかかります。大変ですよ。私は若くないので、登山や冒険ができるわけでもありませんが、どうしても旅に出たいという気持ちが、彼らの冒険心と響き合うのを感じます。

 ところで、辻さんは今回の対イラクの戦争で話題の「人間の盾」について、どう思います? 私は、フセインに利用されるという恐れがあると思ったから、行きたいと思わなかったけど、もしもあれがパレスチナだったらじっとしていられなくて行きたいと思ったかもしれない。フセイン政権からのサポートを受けてやるのは私は嫌です。戦争には反対だけれども。


辻:「人間の盾」、条件によっては行きたいということですね。


金井:そうです。私は現場主義なんです。戦争反対だし、役に立って意思表示をしたい。


辻:一方で、戦争は反対だけれども行くだけの勇気がない、という人がほとんどだと思うんです。ぼくもそのひとりです。それについてはどうですか。


金井:それは、その個々人の条件、状況の違いがあるわけで、しょうがないです。私は行けます。自分で判断し、自分で行動できます。現役時代は社会をよくするために、という気持ちで働いてきたでしょう。その気持ちがひょっこりこんな時に出てきます。


辻:でもこれまでの重さんの旅というのは、別に目的があるわけじゃない。別に役に立ちたいと思ってないですよね。


金井:それはそうです。私のための旅ですから。ただ、役に立たないことの有用性というのもあると感じています。ちょっと大げさに言うと、どこに旅するかではなく、旅していること自体が大事なんです。旅では、日本にはなくなった夜の闇を実感したり、見えないものを感じて生きている人たちの中で大自然と対話する時もある。役立つことや実益だけを追求し、経済的価値を生まないものは切り捨てる社会が豊かなのか、考えさせられます。



朝霧のチグリス渡る


辻:9・11のテロからアフガニスタンの戦争、イラクでの戦争、と21世紀の始まり方は非常に暴力的だけれど、その間も重さんはパキスタンやイラクなどのアラブ世界に行っていますね。すごく緊迫化している状況の中で、イスラムの国を旅するときどんな気分なんですか。


金井:アラブ世界に迷い込んだっていう側面もあるんです。アフリカは仏英の植民地が多かったし、土着宗教もあったけれども、イスラム教が増えています。アジアもそうです。それは、明らかにイスラム教が民衆の心をつかんでいるところがあるんです。9・11の後、私は西アフリカのマリ、モーリタニア、セネガルに行ったんですが、その三つは全てイスラム教の国です。イスラム教国での旅は、写真を撮られるのを嫌がったり、女の一人旅は不自然という意味でむずかしいところはありますが、だからといって強制退去になるわけではないし、行ってしまえば問題ないです。


辻:イラクには戦争が始まる数ヶ月前の、国連による査察で緊迫した時期に行きましたよね。


金井:イラクに国連の調査団が入った11月27日から、その報告書が提出される日までの12日間です。報告書が出るまでは安全なんです。個人ではビザがおりないので、ツアーで。イラクで一番不思議だったのは、野菜とか果物がたくさんあることです。野菜は自給できる国なんです。市場には客がいっぱい出入りしている。米だとかの必需品は配給がある。みんなガツガツしてなくて、ゆったりしています。テレビで見る欧米の文化に対する憧れがあります。外国人に対しても関心があって、喋りたがっているんですが、変な噂をたてられると困るので、深く関わることはない。だからといって、排斥するということでもないです。


辻:人々の表情はどうでしたか。


金井:全然せっぱつまった顔してない。のんびりしたものです。平常でしたよ。もうすぐ戦争になるんじゃないかとおびえているようには見えなかった。子供は世界中どこも一緒ですね。明るくて、元気良くって、珍しがって私の周りに集まってくる。大人の女性と知り合うのは難しい。話したのはお店のおばさんと遺跡の管理人の奥さんくらいかしら。それと、自分たちの「今」のことをうまく話せない人でも、昔のことには関心があって、誇りをもって話すんですね。


辻:イラクでも俳句ができましたか。アメリカの詩人、ゲーリー・スナイダーと話した時に、彼は、短い詩であればあるほど時間がかかる、特に俳句は先を急いでいては決してできないスローポエムだって言ってましたけど。


金井:はい、できましたよ。例えばこんなの。朝霧の中、チグリス川を渡ったんです。そして街に着いたらそこもまだ霧なんです。


 朝霧の チグリス渡る 街も霧


 不思議だったのは、ユーフラテス川とチグリス川の間、むかし子供の時に豊穣の土地メソポタミアと習ったはずの場所が塩田になっている。上流にダムをつくって、水が流れなくなり塩田になったという説明を聞きました。それを詠んだ俳句もあります。


 冬日射す 塩の大地や 地球病む


 塩田を掃いて集めた白い小山が今でも目に浮かびます。緑の国だったメソポタミアが塩田になってしまった。ダムをつくりすぎた人災か。やっぱり地球は病んでいるんでしょうか。

 遺跡については、その保存に政府も関心があって、お金を出して発掘、復興をだいぶ前からやっているようでした。


 ようこそと ラマス麗し 冬日和


 ラマスとは有翼人面獣身像です。その顔は気品に満ちて優しいんです。こんないい顔をつくれる時代が長く続かないのも歴史ですね。



ひたひたとよせくる非戦


辻:行ってきたばかりのイラクで戦争をやっている。この戦争については今何を思っていますか。


金井:行ってみたらわりとのんびりと平和に見えたので、ほっとしました。でも、それも薄氷を踏むような段階にきていて、この平和もつかの間かもしれないという予感はありました。でも、それにしてもアメリカはなんてことをやらかすんだろうと思いましたよ。


 ブッシュ吠え フセインの嘘 山笑う


 ブッシュはネオコンに操縦されてワンワン吠えているし、フセインはふてぶてしく嘘八百を並べている。

 出稼ぎに出ている人が、家族が心配だということで、どんどんイラクに帰ってきているらしいんです。戦禍で危ないから逃げて欲しいって私は思うんですが。あのすさまじい危機の中で、よくぞまあみんな穏やかな顔をしていたな。あれは不思議です。


 ひたひたと よせくる非戦 春の海


 これは開戦直前に詠んだものです。アメリカだけではなく、ヨーロッパでも日本でも戦争反対のデモをやっている。これは嬉しいことです。今までとは違います。

 ベトナム戦争の時は労働組合やベ平連のような団体が呼びかけた。今回の場合、ある突出した組織が人集めに奔走するというのでもない。それなのに、日比谷公園でのピースウォークのように、短時間の呼びかけで、わんさわんさと人が集まってきた。初めて参加する人なんかもたくさんいたと思うんです。

 資本主義が進んだ日本では、公害なんかの問題はたくさんあるけれども、いい意味での近代化もあったと思うんです。それがこの反戦運動の展開にも見える。ひとつは、コンピューターが広まったこと。インターネットがあるから、どこかの組織が号令をかけなくても集まるようになったんです。もうひとつは、一人一人が、自分の考えで自由に行動できるだけの自由があることです。

 もちろん大前提として、アメリカがひどすぎるというのがあります。あまりにえげつなかった。そりゃ戦争反対があたりまえだ、とみんなが思った。


辻:ぼくも何度か反対のデモに行きました。この間のデモは、豪雨でものすごく辛かったです。でも、若い時に行ったデモとは違って、身体的にはとても辛いんだけど、気分的には清々しい。ひとつは、まわりにいる人たちの雰囲気がいいんです。先ほどの「号令で集まってきた人たち」とは明らかに違う人たち。すごく楽しそうにしている相合傘の若いカップル。帽子を目深にかぶった初老の男性。若いお母さんが五歳くらいの子供を連れていて、その子がやけくそみたいに「戦争やめろ~!」って声を張り上げていると、お母さんが「そうよねえ。戦争があるからこんな目にあわされるんだもんねえ。」とか言っている。みんな思い思いの様子で、それがいいんです。

 また、雨がひどくて傘を差しながら歩いているので、ろくに会話もできない。物思いにふけりながら歩く。それは結構いい時間でしたね。いろんなことを思うんです。こんなことをやっても何の効果もないんだろうな、という思いもある。でもそれで空しさを感じるというのでもない。歩き終わった時には、かつての昂揚感とかではなくて、ただ歩いたな、という静かな満足感。そこでひとつだけ明らかなことは、歩く前の自分と歩いた後の自分が少し違うこと。自分が違うということは、つまり世界が違うこと。世界が変わるっていうのはこういうことなのかなっていう実感が残るんです。これはかつてぼくが経験した反戦運動にない感じですね。

 さて、実はぼくもデモに参加する前に俳句のようなものを詠んだんですよ。デモの前の晩、すでに大雨で、ああ明日も雨だなあっていう重い気持ちだったんですね。


 明日も雨 イラクは鉄の雨 サクラ散る


ついでに、


イラクから 遠いこのソファ ジャズを聞く


 昨日、バグダッドが陥落しましたね。空を見ると半月だったんです。それで、


 半月は 何も言うまい バグダッド


 ぼくも重さんも、今世界に見られる反戦運動が新しい動きだって感じているわけだけど、実はたぶん、ぼくたち自身が、昔とちょっと違うんですよ。



人間にも地球にも自然治癒力がある


金井:旅に出るとき、みんなが病気のことを心配してくれます。でも、自分は絶対病気にならないとは思わないけれど、ある程度自分を信じないと旅になんて行けないです。そして、お腹が痛い、頭が痛いって身体が信号を出しているときはじっくり休んで、自分の自然治癒力を信じるんです。食べて、寝て、自分に適した行動で動けば、自然治癒力が高まって旅は続くだろうと思っています。

 自然治癒力を高めるには、自分のスピリットを高めることです。アイツが憎いとか、お金欲しいとか、あくせくしたものを切り離して、自分に正直になって自分を解放すればいいんです。

 今回、反戦運動が各地で自発的に動き始めた。それもこんなに短時間でみんな集まってきた。それは、やっぱり一人一人が自分を信じているということではないだろうか。


辻:つまり、それだけ社会の自然治癒力が高まったということかな。


金井:そう。人間にもあるように、社会にも地球にも自然治癒力があるように思うんです。地球だって、ガスや伐採から自らを癒そうと頑張ってると思います。


辻:ぼくらの場合にはデモに行く。そこに強い願いはあるのだけれども、何かを達成するという通常の目的と手段の体系から言えば、その効果は非常にこころもとないものでしかないですよね。でも、とにかく、ひたすら歩く。


金井:うーん、辻さんは効果が期待できないという言い方をするけど、私はそんなことはないと思うんです。確かに、デモをやったって、誰も注目してくれなきゃ、意味がないようにも思える。けれども、それは違う。「行った」という充実感が、あそこにいた人たちの中に確実に根っこを生やしたんです。

 そして、それは自分のことだけなのかというと、そうじゃない。彼らがやったことは、あの日行けなかった私に伝わっているんです。マスコミに取り上げられないとか、政府に反戦の意思が届かないとか、それでも無意味だということではないんです。そこには大きな希望があります。


辻:今年のぼくのスローガンは「MAKE SLOW LOVE, NOT FAST WAR」。ぼくも昔は、カっという男性的でファストな怒りのエネルギーが世界を変えるんだっていう思い込みがあったんです。それが今では、やっぱり違ったな、と。女性的ないたわりとか愛とか、思いやりとかっていう、時間と手間のかかるスローなエネルギーが、世の中を本当に深く変えていくしかないんじゃないかなって思えるんです。


金井:私は、現役時代、数量的な結果で判断される世界にいたんです。選挙がいい例です。何票とって当選した、とか。結果がダメだといくら過程がよくてもダメ。

 私が、昔と今とで変わった点というのはそこかもしれません。今は結果よりも過程。


辻:それは、やっぱり「旅」ですね。環境運動や社会運動もそうでしょ。日常のささやかな行動に対して、よく「そんなことをして何になるんだ」という批判をする人がいる。例えばぼくが毎日水筒や箸を持って歩いているのを見て、「そんなの自己満足じゃないか」って言う人がいる。


金井:自己満足っていうけれど、私がやることを自分が満足しなければ、誰が満足するのよ。自分が満足しないことには何も始まらない。自己満足を、否定的でなくて肯定的にとらえればいいんです。私が満足して喜んだことは伝わります。今すぐに数値として結果はでないかもしれないけれど、それは必ず伝わっていきます。目的のない旅を続けてきたけど、そうやって考えられるようになったのが良かったなって思います。


辻:人生には目的があるんだ、目的のない人生には意味がないんだっていう思い込みは、恐いことです。そこから抜け出るために、重さんは旅をしてきたのかなって気がします。スローな旅ですね。


金井:最近、子供の時には習わなかったので、友人に宇宙のことを教えてもらったんです。太陽系があって、銀河系があって、といろいろ説明してくれた。ああ、行ってみたいなあって。やがて私は宇宙に帰るんだから、その宇宙をわかりたい。迷わずに行きたいなあって思いましたよ。




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