北海道に二週間行っていて帰ってきたところだ。向こうはまだ雪の中。でもこちらは桜が見頃に。そのギャップのせいか、体調が少し狂った
北海道へ行くと、ローカリゼーションの広がり、深まりをひしひしと感じる。特に、ぼくが今注目しているのは、最初の一週間を過ごした長沼、後半の日々を過ごした余市・仁木町だ。
長沼のオーガニック農場メノビレッジには去年の11月に続く滞在だ。もう、他人の家とは思えなくなった。特に今回はちょうど“ラミング”という仔羊誕生ラッシュの時期で、未だ雪に埋もれているかに見える農場に、日々、新しい季節の足音が響いていた。
春の雪 仔羊の脚 震え立つ 信一
「夢みる小学校」のような学校、「まおい学びのさと」小学校もいよいよ来年開校を迎えようとしているし、(https://manabinosato.studio.site)、この数ヶ月、ワーカーズ・コープとのコラボ「まちづくりワークショップ」で盛り上がっている。その最終回となる12日の集まりにぼくも参加し、自分たちのコミュニティと仕事を今まさに創造せんとする人々の熱い思いを実感させてもらった。
こうした長沼の一連の動きの中にあって、コミュニティ・ハブのような存在としてあるのがメノビレッジ。農民を中心とした11日の集まりでは、農場主のレイモンド・エップ、荒谷明子夫妻が、自分達が辿ってきたリジェネラティブ農業への筋道を報告した。ぼくも通訳として参加した。リジェラティブ(regenerative)は日本では再生とか、循環とかと訳されるのだろうが、ぼくにはピンとこない。再生も循環もあまりに乱用されてきてしまった言葉だ。土と微生物に焦点を置き、不耕起を基本とするこの農業のあり方が、今海外で、危機の時代の切り札として注目を浴びている。世界中で農民たちと、土壌科学、微生物科学との「土」をめぐるコラボが進み、アジアで長い伝統をもつ土を主体とする農のあり方の再評価も始まっている。その伝統や福岡正信や川口由一といった先達への敬意を込めて、リジェネラティブ農業を「おかげさま農業」とでも名づけたいね、と3人で話している。
まだ日本では規模の大きな農場での実践例は少ないが、メノビレッジではすでに目覚ましい成果を上げている。成功例として、これからこの農場が注目されていくにちがいない。この農場からのメッセージを広めるためにぼくもお手伝いをしていこうと思っている。
13日夜は、同時期に農場に滞在していた大学生の吉田ゆうりさんをナビゲーターとして、「戦争、I care…」というオンラインイベントを開催した。10名ほどの若者が発言してくれたのに混じって、レイモンドやぼくもコメントさせてもらった。レイモンドにとって、農業と平和とは一体のものだ。メノビレッジという名の通り、レイモンドはヨーロッパで100年以上にわたる迫害の末、難民化し、やがてアメリカに渡った平和主義者のキリスト教徒コミュニティの末裔。彼の曽祖父はウクライナからアメリカに渡った人だ。つまりウクライナはレイモンドにとってのルーツでもあるのだ。
アメリカに渡ったとき、その曽祖父は小麦の種をスーツケースの隙間に詰めて持っていった。その種子が、その後、アメリカの在来種となって広まった「ターキーレッド」と呼ばれる小麦だ。それをレイモンドは数年前に日本にもたらし、許可も得て、今、徐々に増やしている。平和が農から遠いところに持って行かれてしまっている。それこそが危機なのではないか。このウクライナ危機の最中に、レイモンドたちとの対話を通じて、平和と農の一体性について学びを深めたい。
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