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執筆者の写真信一 辻

小正月 (2)


いのちのコミュニティー

 

夕食は遠藤さんの友人が経営する「どんぐり」という店だ。あたりを見回しても、闇の中に雪が落ちてくるばかりで人家がない。宮沢賢治の『注文の多い料理店』が思い出されて、ちょっと怖い。主人のケンさんが自ら名物の地鶏鍋を仕込んでくれる。遠藤さんによれば、ケンさんは遊びと仕事の区別のない人だ。よく店の片隅のテーブルで絵を描いている。動物や鳥の絵が得意で、すでに絵本もいくつかつくっている。あ、いないな、と思うと台所を奥さんにまかせて、子どもたちを連れてスキーに行っていたり、川辺に鴨撃ちに出かけていたりする。「素敵な動物や鳥の絵を描く優しい人かと思うと、平気で鳥を撃つんだから」


これを聞いたケンさんは、床の隅に置いてあったビニール袋を持ってきて、中から今日撃ってきたばかりの鴨を2羽見せてくれた。気持ち悪がる遠藤さんを見て、ケンさんは恥ずかしそうに微笑んだ。


地酒で乾杯する。さきほどの五十嵐翁について遠藤さんはこう言った。

「この辺には、ああいう愉しそうに暮らしている人たちが多いんです。それはなんなんだろう、って私ずっと考えてきたんです。結局、それは大自然やその中に住む神々の前で謙虚でいられるからなのではないか、と。人間が他の生きものより優れた存在なのではない。だから所詮、たかが知れたものだ、という慎ましやかな態度がつくり出している歓びだと思うんです」


遠藤由美子さんは、首都圏から10年前に故郷の奥会津に戻ってきた。昭和村に伝わる伝統工芸カラムシ織を復興する事業に関わってほしいという依頼を受けていた。丁重に断るつもりで昭和村に行き、はじめてこの織物に触れ、衝撃を受ける。そして、気づいたら、もうそのひと月後には実家のある三島町から昭和村に通い始めていた。この事業に関わった5年間が彼女を変えた。カラムシ織を入り口に、故郷の谷間の村々に伝わる伝統文化の奥深い世界の中に入り込んでいく。当初は、からだにしみ込んでいる都会のペースにあおられて、ゆっくりとした田舎のペースに苛立ちやあせりを感じることもあった。しかし、季節を重ねるうちに、からだとこころが風土になじんでいく。今ではもう、都会には住めません、と遠藤さんは言う。


早めの夕食をすませて檜原(ひのはら)集落へ。雪の降りしきる中、子どもたちが押し黙って「鳥追い」の行列が始まるのを待っている。やがて先頭に立つ中学生の男の子が雪の落ちてくる空に向かって大きな口を開け、「せーの」とどなって、後に続く幼い子らに唱和を促した。「これはどこの鳥追いだ、長者さまの鳥追いだ、ホーヤ、ホーヤ」



年寄りが家の戸口に出て、前を通る行列に「ごくろうさま」と挨拶する。そこへ女の子が走りよって、紙の手旗を渡す。そこには子どもたちの絵やことばが、この行事に託された五穀豊穣の願いを表現している。ぼくがいただいた旗には、中央に不遜な面構えの鳥がでんと構えており、その背後に、小槌が、これは遠慮がちに描かれている。北米の先住民族が大陸の各地に残したロックペインティングを思い出させる絵だ。


夏には「虫送り」の行事があり、秋の「虫供養」とセットになっている。追われた鳥や虫のことを思いやり、祈る。生きものたちからなる「いのちのコミュニティ」の構成員としての自覚が、そこには表現されている。


翌日の歳神(さいのかみ)の当日は職場も休日となる。朝から男たちが神木を伐り出しに行く。雪が降り続き、今夜の行事に差し障りがありはしないか、とぼくは気が気ではなかった。  


午後、神社の前に行ってみると、男たちの一群が、すでに枝をはらわれた10メートルあまりの杉の木をとり囲んで、まるで着物を着せるとでもいうように、丁寧にワラを巻きつけているところだった。そのワラにも雪が降り積もってゆく。のどを通るお神酒(みき)の冷たさが心地いい。男たちはみな愉しげだった。降りしきる雪が彼らのこころを励ましているようだ。村の集会場で年寄たちが準備した御幣が到着し、さっそく神木の先端に結わえつけられる。


やがて数人ずつが4本のはしごのそれぞれを担って、両側から神木を支え、かけ声とともにはしごを突き上げる。すると神木は、まるでいのちを得たようにせり上がっていく。男たちの真剣なまなざしがひとつとなって、それを追う。根元が雪の中に掘られた穴にしっかりとおさまって、神木がすっくと立つ頃にはもう夕暮れが迫っていた。



午後7時、雪はまだ止まない。人々がどこからともなく集まってくる。子どもや年寄は車に乗って。男たちの多くは、歩いてくる。三島町内では、檜原の他にも13の集落でほぼ同時に歳神に火が灯される。だから地元の人々は他の集落の歳神の様子を知らない。ただ、空の高みから見下ろしているように、山あいのあちこちで闇夜に一斉に火の手が上がる様子を想像することができるだけだ。神木の周りに積み上げられたカヤに火が入る。雪をものともせず、火は瞬く間に神木を包んだワラに燃え移り、風に煽られて、先端の御幣へ向けて這い上がっていく。あっけないほど簡単に御幣の固まりが燃え上がる。歓声とともに、年男たちがお護符のみかんや餅や硬貨などをまき散らし始めると、炎に照らしだされた雪の上に人々の影が入り乱れ、踊る。闇と光、水と火、天と地、陰と陽、生と死、そして過去と未来が合体する瞬間だ。




御幣が燃え尽き、黒々と立つ神木の足元にあるカヤの山だけが、静かに燃え続ける。残った男たちが餅をその火で焼きながら酒を呑む。その時ぼくは雪がすっかり止んでいることに気がついた。見上げれば、晴れ上がった夜空いっぱいに、星たちが冷たい光を放って輝いている。

 

『スロー快楽主義宣言! 愉しさ美しさ安らぎが世界を変える』(集英社、2004)第9章より

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