猛暑が続く。猛暑という言葉は聞き飽きて、聞いても何も感じなくなってしまった。歳時記に並んでいる酷暑、極暑、刧暑、炎暑、溽暑といった季語にも、もう新鮮味がない。炎熱、灼く、熱風、炎ゆ、炎天といった言葉も迫力に欠ける。それらはもうごくありきたりの、そしてダラダラとのっぺらぼうのように続く日常の風景なのである。同じ歳時記のすぐそばに並んでいる季語たち、涼し、朝涼、夕涼、晩涼、夜涼、涼風などは、かつてあんなにも輝いていたのに、今では手の届かないところに行ってしまったようで、口にするのもわざとらしく思える。怖いのは、熱暑が、豪雨が、洪水が、旱魃が当たり前になって、いつの間にか、それらが単なる自然現象ではなく、人災でもあることを忘れてしまうことだ。そして気候危機に無力感を募らせてしまうこと。
7月の中ごろは北海道長沼のメノビレッジに滞在し、その後、月末に向けて、友人たちの案内で、北海道南部から青森、岩手にかけて旅をさせていただいた。縄文の遺跡を巡りながら、いくつかの注目すべき農場を訪ねた。岩手では旧山形村にあるバッタリー村、一戸のどん栗村など、伝統文化伝承の拠点を訪ねた。また八戸では安藤昌益ゆかりの場所を歩き、盛岡では宮沢賢治ゆかりの盛岡一高や岩手大学の資料館を訪れた。楽しくも学び多き旅だった。
その間、暑いと思ったのは、メノビレッジで農作業のお手伝いをさせてもらったときくらいだったのだが。関東以西に猛暑が続く中、ぼくが先月いた場所では豪雨が続いて、洪水や土砂くずれが頻発している。ぼくが感銘を受けた白取自然農場は岩木山の麓、洪水被害に見舞われている弘前市にも近い。心配になって連絡してみたら、「こんな有様です」と映像を送ってくれた。C S Aの作物をトラックで届けに行こうとした白取さんが、目の前の道路を濁流が川のように流れている様を撮ったものだ。あきらめて、作物を積んだまま、バックで引き返したという。
メノビレッジの明子さんは、こうメッセージをくれた。
「 こちらの雨はそんなに大したことはないのですが、それなのに夕張川の水が驚くほど上がっているのと、川の水が酷い泥色をしていて、大地の詰まりがかなり深刻だということを感じて怖いです。水を通してフィルターの役目をしてきた大地が機能していないのだと感じて、私も息が詰まるような気持ちです」
息が詰まる。大地の、そしてぼくたち人間の息が・・・。
昨夜、本当に久しぶりに尊敬するダグラス・ラミスさんとzoomでお目にかかってうれしかった。先月始めたオンラインイベント・シリーズのゲストとして、今月24日夜に行われる第2回に出ていただけることになった。昨夜は、その打ち合わせを兼ねて、少しお話をうかがうことができた。本番を楽しみにしていただきたいが、一言だけ、昨夜のラミスさんの言葉を引用したい。「戦後77年、日本は大きく変わったと言われるが、一つだけ変わらない確かなことがある。それは、日本が−私たちの知る限り−戦争で一人も人を殺さなかったということ」。
ロシアのウクライナ侵攻、ヨーロッパの中立国のN A T O加盟、緊迫する台湾情勢、北朝鮮のミサイル発射、安倍元首相殺害・・・などを経て、今や世論は歯止めを失って、大きく改憲・再軍備の方にズルズルと流されているようにみえ、平和主義や非暴力、9条などは無力で、何の現実性も持たない、単なる理想主義にすぎないと多くの人々が感じ始めている。そんな今だからこそ、もう一度、ラミスさんの平和学講義に耳を傾けたい、とぼくは思うのだ。頭を冷やしてそこから出直そう。
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