夏至の世界ローカリゼーションデイを頂点とするローカリゼーション月間。今年も日本では6月12日にローカリゼーションデイJAPANをオンラインで開催する。
そこへ向けてぜひ読んでおいていただきたい記事がある。「トゥルースアウト」という雑誌に載った、ヘレナとローカルフューチャーズの仲間たちによるものだ。まずはその前半。
”Supply Chain Failures Prove Growing Need for Localized Economies”
by Helena Norberg-Hodge, Steven Gorelick and Henry Coleman
in TRUTHOUT, May 22, 2022
揺らぐサプライチェーンと、高まるローカル経済への期待
テレビ、印刷物、デジタルメディアなどの主要メディアは、日常的に世界を襲う危機の数々を繰り返し伝えている。ある週には最新の気候災害について伝え、次の週にはウクライナ戦争に焦点が移る。その数日後には、新型コロナ・ウイルスの最新変異株が話題の中心になるかもしれない。その日のホットトピックがピックアップされ、単独の出来事として説明された後、捨てられる。
私たちが耳にしないのは、これらの危機が、実は、つながっているという事実である。これらの危機は、どれもみなグローバル経済システムの症状なのだ。このシステムこそ、資源を浪費しては環境汚染を深刻化させ、人々を経済的に圧迫し、民主主義を弱め、富と権力を無責任なグローバル企業の手に集中させ、紛争と暴力を悪化させているのである。
特に、最近の一連の出来事は、グローバル経済に依存することで、私たちの足場がいかに脆弱であるかを浮き彫りにしてくれた。長距離のサプライチェーンが世界中で破綻し、その結果、生活コストが急騰している。
このことがいちばんわかりやすいのは、私たちの最も基本的なニーズである「食」だ。アメリカ人は食料品店で1年前より10%高い金額を支払っている。国連食糧農業機関は、世界の食料価格が3月に過去最高を記録したと報告している。英国では、鶏肉の価格が牛肉の価格に匹敵する日も近いと言われている。
なぜか? それは、経済のグローバル化によって、つまり政府が公的資金の投入や大企業への規制緩和(そして中小企業や地域への規制強化)などの方法を駆使して、国内自給よりも輸出産業を優先させることで、食料をより遠くから、より長くて複雑なサプライチェーンを通じて調達するように仕向けてきたからである。
つまり、中国がコロナ禍への対応として生産を停止すれば、それは全世界に影響を及ぼさずにはいないということだ。ロシアがウクライナに侵攻すれば、穀物、植物油、鶏の飼料の世界的な供給が危うくなる。エネルギー価格が上昇すれば、食料価格も上昇する。輸出用の作物を生産する工業的農業は、化石燃料を使った肥料と、大量に燃料を消費する輸送手段で成り立っているからだ。採掘されたガスの価格が高すぎるという理由で合成肥料の生産施設が閉鎖されると、化学物質に依存する農家の収穫高は減少する。
こうして不安が高まりだすと、それは雪だるま式に増えていく。世界各国は食糧難を懸念し、食糧の輸出を停止し始めている。
もし、地球全体が基本的なニーズを今ほど国際貿易に依存するようにならなかったら、問題はそんなに大きくはならなかっただろう。世界の貿易量が1950年の約40倍になったという事実を考えてみよう。グローバル企業の意向を受けた政府が、グローバル貿易に有利な補助金や規制(そして規制緩和)という政策を続けているため、人々の命や暮らしは、国境を越えて活動する仲買人たちに翻弄されているのだ。
グローバリゼーションのせいで、地域や国内で生産される食品は、地元の人々のいのちを養うより、輸出される可能性が高くなった。そして、どこかよそから輸入された食品を食べることになる。今や、各国が定期的にほぼ同量の同一製品を輸入し、同時に輸出している。なんと不条理な状況だろう。例えば、2019年、米国は151万トンの牛肉を輸出しながら、153万トンを輸入した。2020年、ドイツは世界一のバター輸入国(8億5100万ドル)であると同時に、世界第4位のバター輸出国(6億5300万ドル)でもあった。同年、フランスは約10億ドル相当の牛肉を輸入し、一方でほぼ同じ量を輸出していた。これらは決して例外的なことではなく、グローバル経済におけるごく常識的でありきたりなやり方なのである。
このような脆弱なサプライチェーンのもとで、実際に起こりうる不測の事態を数え上げればきりがない。最近でいえば、パンデミックによる閉鎖、スエズ運河の閉鎖、鳥インフルエンザの発生などがある。先週は、カナダロイヤル銀行が、世界のコンテナ船の5分の1が現在渋滞に巻き込まれていると報告した。
これらは、今後起こりうる最悪の事態の前兆に過ぎない。農薬や化学肥料に依存した輸出用の工業的単一栽培を基本とする世界の食糧システムそのものが、種子や家畜の多様性は失わせ、最も重要な食料生産地の土壌は急速に侵食させ、肥沃度は低下させている。さらに、この食糧システム全体が、温室効果ガス排出量の57パーセントをも占めているという事実が加わる。こうしてみれば、食糧システムの崩壊が間近に迫っている可能性は高いといえるだろう。
こうした事態の進行の末に、現代世界はようやく近代経済学の柱となってきた「比較優位原則」の見直しに向かうのであればいいのだが。1817年にリカードによって提唱されたこの理論によれば、各国が自国に最も適したものの生産に特化し、その他のあらゆる必要を満たすために貿易を行えば、すべての国がよりよくなる。これはまさに、「自由貿易」や「グローバリゼーション」の支持者たちによって信奉されてきたものである。
この「比較優位」理論は200年前には現実性をもっていたかもしれないが、世界中に張り巡らされた供給ラインは、ますます脆弱さを増すこの世界では意味をなさない。コロナ・パンデミックの際、ほとんどの国は、グローバル市場のために特化した生産の代わりに、地産地消をやっていれば、状況はずっとよかったはずだ。
しかし、残念ながら、政治指導者たちは、左派であれ右派であれ、多大なコストをかえりみず、経済のグローバル化を推進し続けてきた。その政策のおかげで、多国籍企業や銀行は莫大な富を蓄積することができた。2000年までに、世界で最も富裕な経済組織のリストで、企業が国をこえて半分以上を占めるに至った。企業の富は、選挙寄付や激しいロビー活動を通じて、民主主義的なプロセスを歪め、また広告、データマイニング、メディア所有などを通じて、都合のよい世論を形成するために何十億ドルもの金を費やすことを可能にしている。自由貿易協定は、環境や社会に配慮した法律や規制が企業利益の妨げになるという理由で、多国籍企業が政府を訴えることさえ可能にしているのだ。要するに、グローバリゼーションは、説明責任を問われることなく国をこえて自由に活動する大企業の利益のために、私たちが住む社会のありようを変えてしまったのである。
比較優位論に基づくグローバル化が間違いであることは、もはや明白である。例えば、政府が気候変動危機に対処できないでいる主な理由もこれである。メディアが利益追求の末、より偏向的で扇情的なものになったのもそのためだ。地元の企業がグローバル大企業によって倒産に追い込まれ、地域社会がバラバラになって、巨大化するばかりの都市に組み込まれていくのも、世界中から資源を集約したその都市で、人々がますます疎外され、よそよそしくふるまうのも、そのせいである。億万長者がますます金持ちになるのも、世界の大多数の人々がただ生存するために、前より必死に働き、忙しく走り回らなければならないのも、このためだ。このグローバル化したシステムを動かし続けるために必要な資源が希少になるにつれ、国内の、そして国家間の紛争が増加する。まさに今それが目の前で起こっていることだ。
このように、一見無関係に見えるさまざまな問題は、グローバル化する経済システムという共通の根っこでつながっている。このことは事態の深刻さを示しているように思われるかもしれない。でも同時に、まさにここにこそ希望があるといえるかもしれない。その根っこにあたる根本的な原因にしっかりと焦点を当てるのだ。そうすれば、さまざまな問題を同時に解決する方法をもっと簡単に見出すことができるにちがいない。
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