ゴールデンウィーク(今はそう呼ばないのかな)。舞岡の森の山桜も桑の木も、実が膨らみ色づいてきた。2年前、兄、大岩剛一が亡くなったのもこの季節だった。彼が晩年を過ごした滋賀の家へ線香をあげに行きたいのはやまやまだったが断念、親族がそれぞれの場所からzoomで集った。最後の日々に兄が聞き続けていたといういくつかのアルバムを、ぼくもなぞるように、いつもより少し丁寧に聴いていった。エリントンとグラッペリの「ジャズ・バイオリン・セッション」、チック・コリアのチルドレンズ・ソングズ」、高橋望の弾くバッハ平均律クラヴィーア。その高橋さん、コロナで演奏会ができずに困っているんだろうな、と思っていたら、全く思いがけず彼の新譜、バッハの「パルティータ」が届いた。透明感あふれるその音が、春のそよ風に乗って漂ってきたようだ。
2年前に兄と入れ替わるように、この世にやってきた娘の子どもが家に来てくれたので、三日間、遊びほうけた。そう、文字通り、バカになるのだ。何をやっていてもその時々がパーティー。泣いても笑っても、踊っても、歌っても、後先かまわずとにかく全力。一日一日、いや一刻一刻がセレブレーションなのだ。ふくれても、怒っても、泣いても、全て肯定形。不満さえ満足であり、悲しみさえ喜びであり、不幸さえ幸せだ・・・
改めて、一世代を中に挟んだ両世代が出会い共に時を過ごす、という人類ならではの営みの素晴らしさに心打たれた。
夏至のWLD(ワールド・ローカリゼーション・デイ)が近づいてきた。去年、コロナ禍にオンラインでWLDイベントを開催したローカル・フューチャーズの仲間たちの呼びかけに応えて、日本でもWLD-Japanを開催しようと、2017年から3年間連続で「しあわせの経済」inジャパンを開いた仲間たちと動き出した。4月29日は最初のインターナショナルな打ち合わせを行った。
そこにも出席してくれたメキシコのパトリシア・モゲルともっと話したいと、zoomインタビューを申し込み、それが今日(5月7日)実現した!また詳しい報告はいずれするとして、メキシコの状況は極めて錯綜したものだという。彼女によれば、メキシコの民衆の期待を一身に集めて2年前に始まったAMLO(ロペス・オブラドール大統領)政権は、コロナ禍への対応でつまづき、ブラジルに次いで、中南米最多の感染者数と死者数を出した。死者は20万余と言われているが、実際にはこれをはるかに超える数だと。コロナの影響もあって、AMLO政権がもともと抱えていた矛盾が顕在化したようだ。つまり、彼の政権が抱え込んでいた二つの矛盾する側面、一方のネオリベラリズムの側面と、市民の命と暮らしを優先する側面との折り合いがつかなくなっている。後者の側面の中に含まれていたはずのエコロジー(環境)とローカル(地域)が、国政の中でジリジリと後退を余儀なくされている。それを端的に表現しているのが、ネオリべ派の大臣を先頭に、農作物貿易自由化推進の農業・地域開発省vs環境保全・反遺伝子組み換え・反農薬・農と食のローカル化を掲げる環境省との対立だ。残念ながら、今のところ予算を削られ、手足を縛られているのは後者だ。
がっかりし、呆れながら、ふと、他人事じゃないよな、と。
しかし、深刻な事態の裏側には、最良の事態もまた進行している。パトリシアは政党的な対立とは無縁な地域で、ローカル化の世界的なモデルとも言えるようなさまざまな例があることも教えてくれた。そして、それらの活動を結集して、コロナが収まり次第、「しあわせの経済」フォーラムを初めてメキシコで開催したいと希望を語ってくれた。
このゴールデンウィークは、二つのプロジェクトがいよいよ大詰めを迎えた。
一つは高橋源一郎さんとの共著『「あいだ」の思想』(大月書店)、もう一つはDVDブック「レイジーマン物語」(ゆっくり堂)。両方とも足かけ5年かけて、ここまでなんとかたどり着いた。6月中旬から下旬に出版となりそうだ。これらについても、これからいろいろ書いたり、喋ったりする機会があると思う。
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