内橋さんが亡くなった。寂しいなあ。いつもすてきだったなあ。その言葉はいつも鋭利で明快、しかも温かさに溢れていた。多くを学ばせていただいた。感謝とともに、ご冥福を祈りたい。
以下、宇沢弘文さんとの対談による『始まっている未来 新しい経済学は可能か』(宇沢弘文、内橋克人 岩波書店2009)から、引用させていただく。
競争による分断の経済か、連帯・参加・協同の経済か
共生経済の中心概念は、第一にマクロ経済を成り立たせる2つのセクター、つまり競争セクターと共生セクターはそもそも原理が違うということでした。競争セクターは分断・対立・競争を原理とし、その隙間に利益チャンスをはめ込む。まさに今日の破綻は、競争セクター至上、市場競争一辺倒に立つイデオロギーの帰結でしょう。
これに対して共生セクターの原理は連帯・参加・協同であり、共生セクターの足腰をいかに強くしていくか、それが21世紀最大の課題ではないか、と。
第二に、共生経済とは「F(食料) E(エネルギー) C(ケア)の自給圏」を人間の生存権として追求していく経済のあり方です。一定のエリア内で好太愛しの自給「圏」を築くことは人間の基本「権」に属するものだ、と。これに対してはむろんのこと、保護主義に通じるとか、グローバル化に反対するとか、反論があるでしょうが、FEC自給圏の形成は「すでに始まっている未来である」と数々の先駆例をもって示してきました。
もともと市場原理主義の現実適用は何によっているかと考えますと、まず社会の分断ありき、です。都市と農村を分断して、「日本の米は高い」というキャンペーンを流します。そうすると都市の消費者と農村の生産者は対立する。次に「アメリカからカリフォルニア米を輸入すれば7分の1の値段で買える。これが消費者の利益である」と教える。アメリカは日米構造調整プログラムにおいて、絶えず「日本の消費者の利益」を前面に押し立ててきました。そのようにして農村と都市、地域と地域、人と人を分断し、対立させることによって競争が生まれる。競争させることによって生成するその隙間に、マーケットなるものを置く。利益追求のチャンスが生まれる。これが「競争セクター」の原理でしょう。
経済評論家 内橋克人さん死去 日本社会の経済格差を批判
2021年9月3日 NHK WEB
日本社会の経済格差を批判し誰もが安心して暮らせる社会の実現を訴え続けた経済評論家の内橋克人さんが1日、急性心筋梗塞のため神奈川県内の病院で亡くなりました。89歳でした。
内橋さんは1932年、神戸市で生まれ、大学を卒業後に地元の神戸新聞社に入社し記者として勤務したあと経済評論家として活動を始めました。 日本の高度経済成長を支えた技術者らを描いた「匠の時代」などの著作を発表するとともに、現場取材に基づいた視点から日本社会や経済の在り方について批評を続けてきました。そして経済格差を批判し企業などの利益追求を優先するのではなく、誰もが安心して暮らすことができる社会の実現を訴え続けてきました。 NHKの番組にも数多く出演し、2008年度には第60回の放送文化賞に選ばれています。 また、ことし3月に放送された東日本大震災から10年にあたってのNHKの番組にもパネリストとして出演していました。 内橋さんは最近までラジオの仕事などを続けていましたが、家族によりますと先月、体調を崩して神奈川県内の病院に入院し、1日、急性心筋梗塞のため亡くなったということです。 89歳でした。
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