最近はずっと、アビー・リンカーンのアルバムを聴いている。この夏は、映画「サマー・オブ・ソウル』の中で、ブラック・ミュージックの様々なジャンルのミュージッシャンに混じって、アビーが登場し、当時のパートナーだったマックス・ローチのドラムを背に歌う美しい姿を見ることができて、うれしかった。ジャズ・フォーカルとしては、ニーナ・シモンの方に映画の焦点は当たっていたが、今思えば、アビーとニーナこそ、音楽界を代表する二人の黒人女性アクティビストだった。
アビーが亡くなって、はや11年が経った。その後数年はオリジナル中心の後期の曲を聴くのが好きだったが、今は、若い頃の溌剌とした歌声も楽しませてもらっている。1957年のデビュー・アルバム『アビー・リンカーン』は、ケニー・ドーハム、ソニー・ロリンズ、ウィントン・ケリー、ポール・チェンバース、そしてマックス・ローチという巨人たちとの共演だ。ジャケットのアビーはベッドかソファの上に座って、傾けた体を片腕で支えている。そして、タイトなドレスの片方の肩紐がその腕にずれ落ちている。いかにも男目線のセクシストな演出だが、もちろんそれは、公民権運動や、のちのブラックパワー、フェミニズムの大波がやってくる前の話である。しかし、中身の音楽は、見事に、このジャケットのイメージを裏切ってくれる。曲もみな白人によるスタンダードだが、しかし、音は黒く、太く、深い。
アビーが亡くなった2010年の秋に、雑誌に書き、その後、『辻信一の ぶらぶら人類学』に収録された文章を読んでもらいたい。引用されているのはアビーによるオリジナル曲の歌詞をぼくが訳したものだ。(文章には今回、少しだけ手を加えた)
「旅はいつも後ろ向き」
旅先の朝。目覚めて、ふと、ここはどこか、と自問する。あるいはどこかのカフェでふと、ここはどこだっけ。なぜぼくはここにいるのか、そして何をしているのか、と訝しく思う。ここではない無数の場所にいる代わりに、ここを歩き、ここにいて佇んでいる自分を発見して驚く。その微かな心の動きが心地よい。それは小さな、でもキラリと光る快楽だ。
初めて訪れる場所に、懐かしさを見出すことがよくある。ぼくの内側で、何かが呼び覚まされる。それが何かは、最後までわからない。考え出せば不思議な縁の数々。確かにぼくは異邦人であり、 よそ者だ。しかし、どこにいても、「ここにこうしてしていること以上にふさわしい今はありえない」と思える。旅先での、この不思議な「フィット」の感覚は何なのだろう。
盛夏の中国、四川省。都市には高層マンションがまるで雨後のタケノコのように、ニョキニョキと天へ向かって伸びていた。でも、そのすぐ足もとに、仏教や道教のお寺があり、太極拳を練習し、「知足常楽」(足るを知る)という教えを日々胸に刻んでいる人々がいる。「天の道に遵う農」という古い知恵を基に、有機農業、「エコビレッジ」 や「グリーンツーリズム」が始まっている。
初秋のイギリスではデヴォンやコッツウォルズの田舎の村の美しさに心を打たれた。政府に任せる代わりに、コミュニティが、あるいは会員三百万人の「ナショナル・トラスト」が、生態系を、景観を、文化財を守る。
琵琶湖では、沖島という、日本唯一の人の住む湖沼の島を訪ねた。地域学の研究者としてこの島での長年のフィールドワークの経験をもつ、現滋賀県知事・嘉田由紀子さんを交えた「沖島夜学」という集いに呼んでいただいたのだ。嘉田さんは、今と昔の写真を対照しながら、平安時代以来、人間の共同体を支え続けた豊かな生態系が、ここ三十年程の間に急激に崩れて いった様子を描きだしてくれた。 その翌日は湖上で、ときには船 のエンジンを止めて漂いながら、 秋の一日の「なーんにもしない旅」を楽しんだ。
捨てなさい、捨てなさい
与えなさい、愛を
そして生きる
一日、1日を
手をいっぱいに広げ
陽光が透けるままに
大丈夫、信じて
失いようもない自分を
(アビー・リンカーン「Throw It Away」より)
この夏、大好きなアビー・ リンカーンが逝ってしまった。 八十歳の誕生日の数日後だった。そのとき中国にいて、その後も旅を続けたぼくが、やっとニュースに接したときには、秋になっていた。以来、繰り返し、 彼女の歌を聴いている。それは、 「もうこの世にいないアビー」 の歌を聴くという学び直しだ
聴くことを学ぶ
夜のリズムが
どうすればシンプルに
甘く、軽く、響くかを
なめらかで、自由
やさしく、あるいは
叩きつけるように
(「Leaning How to Listen」より)
人生が旅のようなものであるなら、次には、捨てること、手放すこと、身軽になることを学ばなければなるまい。それは大切な人たちとの別れ方を学ぶことでもある。旅はいつも後ろ向き。でも、 よき旅人に後悔はない。
こうなりえたとか、
ああすべきだった、とか
違う世界だったはずなのに、
とか・・・
でもほら、私たちはここでこうして生きている
だからともかく、
人生に乾杯
あなたにも、 私にも乾杯
(「Should've Been」より)
後記:昨日書いたことを訂正したい。昨日紹介した『アビー・リンカーン』は『That's Him』としてよりよく知られているもので、これはデビューアルバムではなかった。その前年の1956年に『Affair:a Story of a Girl in Love』がLiberty レーベルから出ていたのだ。ぼくが持っているLPで聴き直してみたが、オーケストラをバックにしたイージーリスニングな曲作りで、制作者たちの商業主義的な姿勢がより前面に出ていて、そのジャケットもいかにもという感じだ。それでも、アビーの歌いっぷりは、伸びやかで、いい意味で大人っぽく、媚びるような雰囲気もなく、やっぱり十分にいいのだ。同じラブソングでも、彼女が歌うと、たちまち一級のストーリー・テラーが語るような物語の世界が広がって、オーケストラのまとわりつくような甘ったるい感じがスッと、背景に退くようだから不思議だ。
とはいえ、彼女のジャズボーカルとしての本当のデビューはやはりリヴァーサイドからの次作『That's Him』(あるいは『アビー・リンカーン』だったと言っていいように思う。これが足がかりとなって、1959年の名盤『Abbey Is Blue』が出現することになる。一曲目の「Afro-Blue」はコルトレーンによるカヴァーと並ぶ好演だと言えるだろう。原曲はアフリカから伝えられた曲をモンゴ・サンタマリアがアレンジしたものだという。珍しいアフリカ起源のスタンダード曲だ。エリントンの「Come Sunday」もB面に入っているが、ぼくのもっとも好きなカヴァーの一つだ。初期のアビーの自作曲「Let Up」も楽しめる。
「アフロ・ブルー」の前半の歌詞を訳してみた。
Afro Blue (Mongo Santamaria/Oscar Brown) 夢に見る私の魂の故郷 太鼓を手で叩く音が聞こえてくる
歓びの陰影
ココアの色合い
夜のように豊かな
アフロ・ブルー
美しい若者たち
ほがらかに舞い、繊細に回る
歓びの陰影
ココアの色合い
夜のように豊かな
アフロ・ブルー
恋人たちが見つめ合う
気品に包まれ
ゆるやかに揺れ
やがて二人だけの場所へと消えてゆく
歓びの陰影
ココアの色合い
夜のように豊かな
アフロ・ブルー
Dream of a land my soul is from
I hear a hand stroke on a drum Shades of delight Cocoa hue Rich as the night Afro blue
Elegant boy, beautiful girl
Dancing for joy delicate whirl
Shades of delight
Cocoa hue
Rich as the night
Afro blue
Two young lovers face to face
With undulating grace
They gently sway
Then slip away to some secluded place
Shades of delight
Cocoa hue
Rich as the night
Afro blue
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