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SAMPOワンダーランドを訪ねる



二日前、三軒茶屋の駅のそば、再開発の圧力に抵抗しながらたくましく生き残っている古い商店街や住宅街の一角にある「ROJIYA」に、建築集団「SAMPO」を訪ねた。東日暮里にある彼らのもう一つの拠点を訪ねた時に劣らぬ感銘を受けた。この若いアーティスト=職人=社会変革者たちのことを、多くの人々に伝えたいと、ぼくは熱望している。だが、できない。まだできない。それができるようになるまでには、時間が必要なようだ。というのも、彼らがつくりだす場所というのは、あまりに雑然、混沌として、「ああでもないがこうでもない」「ああでもあり、こうでもある」という「「宙ぶらりん」の氾濫。つまり、「あいだ」の宝庫なのだ。しかも、彼らと出会ってほんの2ヶ月あまりにしかならないのに、彼らはどんどん蛇のように脱皮しては、するりするりと変身を続けている。そう考えると、ぼくだけではなく、誰にも、彼らのことをちゃんと伝えるなんてことは、いつまでもできないのかもしれない。というわけで、もう少しマシな報告を、期待しないで(誰もしてないだろうけど)待っていてほしい、とぼくは自分自身に言う。


とりあえず、Greenzが書いてくれたSAMPOのISSUIくん、RIKUくんとぼくとの鼎談@東日暮里の報告記事を見ておいてほしい。








同居人のCJ(Curry Jockey) くんのカレーもいただき、彼の「ホームレス」思想も聞いて、もう帰る時間だと思った頃、ISSUIくんが、そろそろぼくの部屋にご案内します、と言う。すでにカオスでほどよく“酔って”いたぼくは、最後に残された肝心の一部屋へと出発する。居間(?)から階段を登るとそこは、すでに見せてもらったISSUIくんの指輪工房=ブティック。え、部屋ってここのこと? それとも・・・と周りを見回しても、どこにももう一つの部屋へと通じる道はない。ニヤニヤしながら戸惑っているぼくを見ているISSUIくん。やがて彼は種明かしをする手品師のように、彼のすぐ横にある「音のシャワー」と呼ばれる床屋風の椅子(説明省略)を、横に滑らせると、それと一緒に背後の壁の下方が開く。そしてこの隠し扉の後ろに現れた穴の真ん中に立つスチールパイプをつたって、スルスルとISSUIくんが下降。ためらう間もなく、ぼくも後に続く。ぼくの方はスルスルとは行かず、ズルッ、ズルズル、という感じだ。



そうやって降り立ったところが、ISSUIくんの部屋だった。しばらくは方向感覚を失って、ぼくは自分が今家のどの部分に位置しているのか、わからなかったが、壁に穿たれた1、2ミリの穴から覗くと、なんと向こうはついさっきまでぼくが座っていた居間なのだった。そこに仏壇のようにそびえていたDJ用のオーディオセットのすぐ裏側にぼくたちは今、座っているのだ。つまり、水平移動すればほんの2歩ほどの距離を、ぼくたちは、わざと遠回りして、プチ冒険の末に、移動してきたというわけだ。ぼくの顔に戸惑いを見てとったのか、やさしいISSUIくんは言う。「出口はちゃんと別にありますから・・・」と背後のガラス戸を指差す。あのパイプを登らなくてもいいと知って、素直にホッとしているぼくがいた。


なんという無駄。なんという非効率。しかしまたなんという楽しい不便。

だいたい、ぼくのこの説明そのものがいかにも遠回りで、書く当人であるぼくは楽しくても、こんなに回りくどいものを読まされているあなたにとっては、どうなんだろう。


「そうか、こりゃ、無駄の哲学だね」と感心しているぼくに、さりげなく、「これでも、ぼくらにとっては無駄を最小限に抑えた結果なんですけどね」とISSUIくん。居間に戻って、そこにいた(居間に戻るたびに、人が入れ替わっている)22歳の若者(ごめん、名前忘れた)に、「効率って、きみにとってどういうもの?」と聞いた。彼は「興味ないですね」と即座に答える。同じ質問に、ISSUIくんは「飽きますね」と一言付け加えた。


効率性や生産性の呪縛から自由な若者たちが、どこからともなく、湧き出ては、SAMPOがつくりだすモバイル・ハウスなどに乗って、資本主義末期の日本のあちらこちらへと浸み出していく、というわけだ。


ROJIYAでの楽しい時間があっという間に過ぎ去り、予定の時間を過ぎて、三軒茶屋から電車に乗る頃にはもうラッシュアワーになっていた。


ぼくはワンダーランドから出てきたアリスのような気分のまま、都心に放り込まれる。コロナ禍中、もう緊急じゃない緊急事態宣言とかパラリンピックとか、都心はもうシュールを通りこして、ほとんど違う星だ。ぼくは今度は星の王子さまになった気分で、駅のホームに立ち、電車を待ちながら、ただ呆然と目を見開いていた。




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