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執筆者の写真信一 辻

ラムズフェルド氏死去

最近、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」という映画を見た。

9・11テロで愛する父親を亡くしたアスペルガーの少年のものがたり。


9・11が何を意味していたのか、そして20年を経た今に至るまで何を意味してきたのか、は人それぞれだ。遠く海を隔てたアフガニスタンやイラクの人々にとってそれが今、何を意味しているのかを、理解することはおろか、想像してみることさえ難しい。しかし、もしかしたら、一見9・11となんの関係をも持たないこの日本に暮らす自分自身にとって、それが何を意味するかを理解することほど、難しいことはないのかもしれない、とふと思う。それでも、「9・11後」をぼくたちは生きている。それは間違いない。


そのポスト9・11時代のキープレイヤーの一人はラムズフェルド国防長官(当時)だ。(若い人たちは知らないだろうな?)その彼が亡くなった。彼の顔に重なるように、ふとイラクのサダム・フセイン大統領の顔が浮かんだ。9・11テロ、アフガニスタン侵攻、イラク侵攻の三つは切り離すことのできないワンセットとなって、まるでパンドラの箱のように、ポスト9・11という災厄の時代が幕を開けたのだった。こうした舞台で、ラムズフェルド氏がどういう役割を果たし、それがどういう歴史的な意味をもっていたのか、これからますます明らかになっていくものと期待したい。ぼくの心のうちにも様々な思いがかけめぐるが、今は心を落ち着けて、ラムズフェルド氏のご冥福を祈りたい。思えば、9・11、それへの報復の意味を担った担った侵攻、そしてその後、今へと連なる一連の紛争と戦争の犠牲者たちを前に、ぼくにできることはただ手を合わせ、冥福を祈り、彼ら彼女らの後に残された近親者の心の平和を祈ることだけだったのだ。


(以下、朝日新聞に載った評伝の一部を紹介する。記者は、イラク戦争開戦から1年後の2004年6月、ラムズフェルド国防長官の海外訪問に同行した。)


1970年代と2000年代に2度にわたり米国防長官を務めたドナルド・ラムズフェルド氏が6月29日、死去した。88歳だった。 反米イスラム過激派アルカイダによる米同時多発テロ発生時の米国防長官として、その後のブッシュ米政権による「対テロ戦争」を担った。「9・11後の世界」にさらなる混乱をもたらした主要人物として歴史に記憶されるだろう。  ・・・米国の価値観を対外的にも広げる共和党内のネオコン(新保守主義者)と連携し、実際には存在しなかった大量破壊兵器の開発・保有を理由にイラクのフセイン政権を武力で転覆した。  その「真実を見ない政治」の代償は、軍事行動や内戦で数万人に及ぶ非戦闘員が死亡したイラクだけでなく、難民の流出などで周辺国や世界各国にも及んだ。「中東の民主化」を掲げながら、キューバやイラクの米軍基地で、拘束した戦闘員への虐待を容認していたのも長官自身だったといわれる。

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